常識だと信じていたモノが、常識ではなくなりつつある時代になっているから。
こんにちは。栗原貴子です。
フリーランスは21年目。きもの歴は四半世紀超えの私ですが、ここ数年、真夏の昼間にきものでの外出を避けるようになっています。
なぜなら。
暑すぎるから。
お洋服でも「命の危険」と言われちゃうほどに暑いわけです。
きものだったら、さらに危険!!
今まで「これが常識」とされていた、きものや浴衣の着付けは限界だなあ、と感じるのです。なぜなら、きものや浴衣が「暑い」のは素材のせいではなく、着付けの方法に原因があるから。
長襦袢、きもの(浴衣)、帯と胴回りに重なる布の枚数が多いのですね。そこに、補正用タオルも加わると、7~8枚の布が重なっている状態になります。
人間の肉体は「胴体部分」に主要な臓器が集まっていますので、胴回りが暑いというのは「しんどい」「つらい」という体感に直結します。
そんなことを考えているうちに。
これまで「常識」「正解」とされていた着付けのほうを見直す時期に来ている、と自然と視点が変わっていきました。
試行錯誤しながら、自分で人体実験をしてみて「これが一番、涼しかった」着付けです。
名付けて「盛夏の着付け」。
ちなみに、「常識」とされている着付けはコチラ。
着付けの難易度としても「常識」のほうが格段に高いです。
「盛夏の着付け」は着付けも簡単で涼しい。かつ、着心地もかなりラク。
つまり
快適♡
常識のほうが不快指数が高い、という事実はこの時代に何かとモヤモヤしてしまう、私たちの人生のようです。
そう。
これまで「常識」とされていたこと。
「こうあるべし」とされていたこと。
「こうしたほうがいい」とされていたこと。
それらが果たして本当に「快適」なのか?と聞かれると、そうとは言い切れない。
例えば
「結婚」=「シアワセ」
「早寝早起き」=「健康的」
「大企業にお勤め」=「安泰」
「ひとり暮らし」=「さみしい」
そういうことって、本当に「そうなの?」って突き詰めて考えると。そうとは言い切れない部分も多々ありますよね。
着付けも「移動はすべて自動車で、ついた先も冷房の効いた室内」であればこれまで常識とされてきた着付けでも問題ないんです。
屋外を徒歩で移動する
屋外で過ごす
という場合は命懸けになっちゃう。
状況によって「快」「不快」が変化するのは、私たちの人生と同じです。
そして、今の時代は「変化する要因」「変化する可能性」がとても増えています。
選択肢が増えた、ともいえるし。
多様性がある、ともいえるのだけれども。
私が「盛夏の着付けが必要」と思ったように。
変化せざるを得ない状況を迎えることも少なくありません。
「あれ? なんか違う」と思ったときに。
「より快適な方向に変化していく」という選択肢を積極的に選ぶことができたら。
私たちはもっと「生きている喜び」を感じられるようになる、と考えています。
きものにしても「従来の着付けのまま、夏のお出かけが快適になればいいのに」と願い、「タクシーに乗る」という選択もせずに、ただ「猛暑じゃなくなること」を願っても何も解決しません。
解決しないどころか「きものを着たい」という自分の想いや願いを「我慢する」ことになってしまうだけ。
常識だと信じていたモノが、常識ではなくなりつつある時代を私たちは生きています。
だから。
今の日常に何か「不快」があるのなら。
自分の望みや想いや願望を妨げる何かがあるのなら。
「どうすれば快に転じることができるのかなあ」
という視点で見つめなおすこと、それが一番の近道だと思うのです。
今日も読んでくださって、ありがとうございました!
みなさまの毎日にププッと笑顔があふれますように♪
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