桜咲く夜「お姉さんじゃなかった!」と言われて。

「思っていたよりも混雑している」桜の名所で客、驚きの声。 

というネットニュースの見出しに噴き出してしまった。

麗らかな日差しに誘われて、フラッと出かけるのはご自分だけだと思っていたのだろうか?

仕事で訪れたテレポートセンター駅前の桜。2年ぶりぐらいに乗った「ゆりかもめ」が醸すレジャー感にテンションがあがるほどに、ここのところ私は働きすぎである。


土曜日、仕事を片付けて0時すぎに、散歩がてら桜でも観てこようかなと、ひとりブラブラ歩いた。夜中ならマスクもしないで平気だろうと思っていた私が甘かった。

路上で酒を飲んでいる2~3名のグループが、あちこちに。

そして、宅飲み帰りと思しき男女のグループがマンションから続々と出てくる。終電が繰り上がったことを失念しているのだろな、お気の毒に、と思った。


女子3人、男子4人のアラサーと思しきグループで、ひとり、やけにハイテンションで女子にからんでいる坊やがいた。長年の経験で知っている。ああいう風に、ハイテンションになっているのは「あぶれた証拠」である。そもそも男女の人数が合ってない飲み会では、だれかがあぶれる宿命である。

終電を逃すほど健闘したのにあぶれるとは、お気の毒グランプリだ。


彼らを追い越してスタスタ歩いたら、知らない道に出てうろたえた。方向音痴の宿命である。方向はあっている、と自分を鼓舞して歩き続けていると背後から、足音が近づいてきた。


深夜の見知らぬ道で少々、不安になっていたので警戒モードを起動した。といっても、警戒を相手に悟られてはいけない。足音は小走りになり、どんどん近づいてくるのが分かる。


『これは、声をかけられるな』


と直感した。耳に全神経を集中して、相手との距離を推しはかりながら、ソーシャルディスタンス2mを確保できるタイミングを見計らって目ヂカラMAXで「キッ」と振り返った。


そこにいたのは、先ほどのあぶれ坊やであった。


ハッとした顔をして、声をかけるのを諦めた坊やは仲間たちにこう報告した。

「お姉さんじゃなかった!」

『そうさ、おばさんさ、参ったか!』

と心の中で答えた次の瞬間、

「お兄さんだった!」

と仲間に報告する坊や。

「うそ~!」と女子たち。

「まじで?」と男子たち。


ちなみに、服装はどこから見ても女人であるし、髪も長い。つまり、彼は私のことを「女の恰好をしたお兄さん」だと認識したのである。夜、とはいえ街灯がある場所で。


年齢の見当がつかないのは、マスクだから致し方ない部分もあるだろう。そして、確かに私は新宿2丁目のニューハーフバーで「うちで働けるわよ♡」とママに言われたこともある。目ヂカラの迫力が女人のモノとは思えないほどに、鋭かったのかも知れない。コロナ禍で昨年は経験しなかったが、4月、5月には名刺交換時に新入社員の手が震えているのに気付くのも、超個人的な春の風物詩である。にこやかに愛想よくしているつもりだが、新入社員には刺激が強すぎるのだろうか。


「お兄さんだった!」と言われ、私は大変、満足感に浸っていた。


あぶれているのに、果敢に女子にソーシャルディスタンスなどどこ吹く風、でスキンシップをはかりつつちょっかいを出していた坊やは、それなりにアグレッシブな性格なのだろう。そんな坊やを一瞥で追い払える自分の目ヂカラのポテンシャル。今後、活用していきたい、と思った。


感染者数が減らないどころか、増えているのはああいう坊やが参加する会合が、秘密裏にあちこちで開催されているからなのだろうな、と思う。

店がやっていなければ、宅飲みになる。なんであれ、禁止すれば地下に潜るのは世の常だ。

そして、人々はもはや娯楽不足、リフレッシュ不足でストレスフルである。

仕事もリモートワークの弊害、コミュニケーション不足の蓄積による不具合が、あちこちで表面化してきているように思う。それもまた、ストレスの原因だ。


そんな中で、自粛を要請し、活動を制限するという方向では、もう限界なんだろうなと個人的には感じている。


人間の暮らしが、どんなふうに変わろうとも。

桜は変わらずに、そこに在り、季節が廻れば花を咲かせる。

その対比をしみじみと感じて。

人間は愚かでちっぽけで、そして愛おしい生き物だなあ、と”お兄さん”は思うのよ。


今日も読んでくださって、ありがとうございました。

皆様の毎日に、ププッと笑顔があふれますように。


栗原貴子のでこぼこオンナ道

栗原貴子/編集・ライター、コピーライター フリーランス歴23年。広告、宣伝、啓蒙につながるクリエイティブ制作、コピーライティングが得意。2019年より きもの伝道師 貴楽名義で着付けパーソナルレッスンを中心に活動開始。きもの歴は四半世紀越え。