こんな時代だからこそ、世の中に「ププッ」と笑いを増やしていきたいの。

こんにちは。栗原貴子です。

私のブログを読んでくださっている皆様や、リアルにお会いしたことのある皆様は、私が「おもしろい」もしくは「くださないことばかり言う」ことに薄々というか、はっきりとお気づきのことと思う。


黙って

いたら

いいのに。


過去に何度かそういわれたこともあったけれど、黙っていたらどのように「いい」という意味なのだろうか。

先日の江ノ島の夕暮れ時。


この日、昼すぎから雨が降りはじめたので、こんな風景を見ることができるとは期待していなかっただけに感激もひとしおよ。


さて、私は今の時代「愉快が足りない」とつくづく、思う。


Yahoo!ニュースのトピックス欄に踊る文字を眺めているだけでも慢性的な「愉快不足」であることが分かる。不愉快ニュースのシャワー状態。

メディアから不愉快情報が目白押しという状態にある現代では、能動的に「愉快」に注目していかなければ、気づかぬうちに不愉快思考に陥ってしまう。「ネガティブ思考」「マイナス思考」という表現が一般的になっているけれど、私の長年のライターとしての感覚では日本人の感覚や心情的には「不愉快思考」のほうがしっくりくると思っている。そうした思考でいる限り、本人はもちろんのこと「その話を聞かされる関係各位」もみんな「不愉快」だからだ。


さらに「つい、ネガティブ思考になっちゃうの~」というよりも、「わたしって、不愉快思考だわ」と考えた方が、素早く立ち直れるはず!とも思う。不愉快思考というほうが、ネガティブ思考、マイナス思考よりも「そのことによってもたらす結果」が「みんな不愉快」ということを容易に想像できるからである。


なので、私は日常のささやかな愉快や愉快思考を発信したい。

誰の日常にも「ささやかな愉快」がたくさんあることを思い出して欲しいから。


不愉快思考に陥っているかどうかは、「その人のトピックス」にあらわれる。開口一番、不愉快ネタを不愉快なまま発言しちゃう、というとき。その人は完全に不愉快思考になっている。


とはいえ、生きていれば不愉快な出来事との遭遇は避けられない。

それを「面白ネタ」に転換できるかどうか。それが、私の思考を客観視するバロメーターになっている。


不愉快なことを愉快に転換すると「不謹慎」となってしまう場合もあるので、大人としてはそこは要注意。けれど、私の経験から言えば「ププッ」と笑ってしまった時点で、相手も不謹慎の仲間入りになるため、よほどの不謹慎でない限りとがめられることはほとんどないから安心してね。


とはいえ、慢性的に不愉快思考になっている人に対して、私が愉快思考を持ち出すと「人の話を真面目に聞いてくれない」とイライラしはじめることがある。


でも、私の思いというか、たぶん「聞かされたことのある人」みんなから共感してもらえると思うんだけど。


わざわざ

そんな

不愉快な話を

聞かせている

アンタこそ

何よ?



ってことです。もちろん、不愉快思考にどっぷりとつかっている相手に対して、そんなことを面と向かってはさすがの私も言わないよ。言わないけれど、そう思っているの。


ごめんあそばせ!


不愉快思考の人は「真面目に聞いてくれない」という不愉快思考をさく裂させているわけで、この時点で私とその人は愉快、不愉快についての感性が合わないのであって、どっちがいい悪いの問題ではないのよね。


私のことを「不愉快思考を愉快に転換する名人」と思ってくれている人は、


「そういう考え方もあるね」

「深刻に考えすぎていたかも」


と、私の名人芸によって「気持ちが晴れた」と喜んでくれるから。


例えば、現代社会には「仕事が不愉快な状態にある」と言う人は多い。よくよく話を聞いていると上司や同僚が嫌な奴だというケースが圧倒的(その嫌な奴の采配が悪くて結果的に仕事がつらいというものも含む)。

それは仕事そのものではなく人間関係の悩みなのであるけれど「仕事」という表現をしてしまうのは、不愉快思考に侵されていて、冷静な思考ができていないからではないかといつも感じる。


さらにいえば、不愉快思考に侵されていると不愉快な出来事に集中するあまり「愉快なこと」にフォーカスする能力すら衰えてしまう。


愉快を見つけられないっていうのは、けっこう致命的よ。


世の中、愉快なことばかりではないのは事実だし、不愉快なことから目をそらしてもいられない。だからこそ常日頃から「いずれにしても結果オーライ!になるのだ」と確信していることが大事だと思う。


さまつな例えで恐縮なんだけど。


家を出たときに雨が降っていたので、折りたたみ傘ではなく長傘を持って出かけたら、あっという間に雨がやんだ。「この程度の雨ならば折りたたみ傘でよかったじゃん。ちっ」と思いながら長傘を持って電車に乗る。車中での長傘は邪魔であり、置き忘れしやすくもあるのでなんだか「ちっ」と思ってしまう。

けれど、目的地に着いたら雨が本降りだったというとき。

「長傘じゃまだな。ちっ」と思ったことをたちまち反省する。

「長傘じゃま」という不愉快が「持っててよかったじゃん!」になったから。



人生には往々にしてそのようなパターンで物事が起きる。

「ちっ」だったはずの出来事がじつは「よかったじゃん」の前触れ。


人生における「不愉快なこと」が前触れであったと確信できるようになるまでには、長傘もってきてよかった! という出来事よりもちょっとばかり時間がかかる。なので、不愉快な気持ちを引きずりやすく、そして、引きずっている限り「よかったな」という出来事はやってこないものであったりもする。よって、ますます不愉快思考が凝り固まってくる。


これが

慢性的

不愉快思考

の正体。


なのよね~。


口をついて出てくるトピックスがおもしろさゼロの「不愉快ネタ」である場合、それがTPOや相手の心情などおかまいなしで口から飛び出てくる場合。


ああ、慢性的な不愉快思考に陥ってるな。


と気づくことが大事なんだと思うわ。


そして、自分の慢性的な

不愉快思考は、

確実に自分以外の

誰かのことも不愉快にしていて、

自分も相手にとって

「不愉快な人」という

ポジションにも

なっているということも。




私もいろいろ紆余曲折があって「愉快思考」であることを意識するようになった。


不愉快思考でいる限り、不愉快な出来事や状況はなくならない、から。


だから、私は世の中に「ププッ」と思わず笑ってしまう瞬間をお届けしたい。

愉快にフォーカスする、愉快に転換するって「こういうことね!」と、なんとなく感じてもらえたら「あたし、しあわせ」なのでした。



今日も読んでくださり、ありがとうございました♪


あなたの毎日に「ププッ」があふれますように。


栗原貴子のでこぼこオンナ道

栗原貴子/編集・ライター、コピーライター フリーランス歴23年。広告、宣伝、啓蒙につながるクリエイティブ制作、コピーライティングが得意。2019年より きもの伝道師 貴楽名義で着付けパーソナルレッスンを中心に活動開始。きもの歴は四半世紀越え。