近所のコンビニにすごい美人店員さんが働き始めたのですが最近、彼女のメイクが大変なことになっていて『ありのままで』ブームのあっけなさを実感。
こんばんは。栗原貴子です。
♪ありの ままで~♪ が流行ったのは、つい最近だと記憶しているのですが、全く興味がなかったせいか正確な時期が思い出せません。さらに、映画も視聴しておりませんのでどんな内容なのかわからないのですが、ブームを分析した記事等の情報から「ありのままの自分でいること」を啓蒙しており、そのことが時世的にも受けた、という風に記憶しております。
何かと「自分を盛る」傾向が強まっている昨今ですが、「盛る」というのは「大風呂敷を広げる」とか「猫をかぶる」というような「等身大の自分を意図的によりよく見せようとする」ことだと理解しています。いちいち、慣用句を持ち出してきて恐縮ですが、流行り言葉の定義はあいまいなので分かりやすさを意識してみました。
みんな「盛る」ことに疲れ、また「盛っている人」に対しても複雑な心情を抱いていたのではないかと思うのです。つまり「盛り疲れ」という現状があっての「ありのままで」ブームと解釈している次第です。
まあ「盛る」に関しては、ワタクシも日常的にしております「お化粧」などは、最もスタンダードかつトラディショナルな「盛る行為」です。「素顔とのギャップ問題」は「平素、どれだけ盛っているか」によって起こるわけですので「素」を「引き立たせるぐらい」の塩梅にしておくことが大事ですけれども、変装レベルのメイクテクを持つ婦女子もたくさんいます(変装、と考えるとある種のスキルとも言えますが)。
女性がお化粧で「盛る」のは「実物以上によく見せたい」からでありますが、このお化粧によって実物の素晴らしさを台無しにしてしまっているのが、タイトルにも記しました近所のコンビニの店員さんです。私は常に名札チェックに余念がないので、苗字も把握しておりますが仮にAさんとしましょう。
Aさんがそのコンビニでレジを打つ姿を始めてみたとき。私はおののきました。あまりにも美女すぎて。『こんなキレイなお顔の女の子がコンビニでバイトをしたら、おかしなストーカーとかがつきまとってきたりするのでは!?』と親戚でもないのに心配したほどです。
しかし、先日、コンビニに行きますとAさんは驚きの変貌を遂げていたのでした。
めっちゃ
厚化粧
(しかも下手)
もともと長かったまつげはエクステなのか、つけまつげなのかわかりませんが「それ、焼き海苔?」ってぐらいのびっちり具合。さらに、もともとスッとした鼻筋なのに、さらに鼻を高く見せたかったのかノーズシャドウを入れているのですが(男性の皆様のために説明すると、鼻筋のサイドに茶色い線を引き、ぼかすことで陰影をつける手法です)、ぼかしきれていないのでシャドウがくっきり。
歌舞伎?
それとも
どこかの部族?
という様相です。
よほど暗い室内でメイクをしているのか。でも、このぐらいのお年頃の女子は電車の中などで常に手鏡やスマホの画面で己の顔面具合をチェックするもの。自室ではOKでも、屋外ではNGということに気づきそうなものです。
より美しく見せるためのお化粧によって、持ち前の美貌が完全に損なわれている様子に衝撃を受けました。
Aさんがどうしてこんなメイクをし始めたのだろう? と私の余計なお世話想像力が活発に働きました。美貌を隠したいのならば、マスクをするとか、極端に似合わないデザインの眼鏡をかけるとか、違ったアプローチがあるだろうに。なぜ、こんなメイクを?
・Aさんの美貌に嫉妬した学友にひどいメイクを施された説。
・ストーカー気質のコンビニ客を幻滅させたい作戦。
この2つの説が脳裏に浮かびます。しかし、前者であれば放課後に落としてしまえばいい話。後者であればバイトなんだから、辞めちゃえばいい話。
数日後、Aさんは例のメイクに加え、髪の色を茶色くしていました。
自発的に
変わりたくて
やっているのね!
と私は察したのですが……。
相変わらず、ノーズシャドウはくっきり。まつげは焼き海苔。
どうして、誰も彼女に注意してくれないのでしょうか。
とはいえ、同性として分かるのです。何かによって彼女は「変わりたい」と思うようになって、それがメイクや髪の色を変えることにつながっているということを。
でも、メイクの下手っぷりから察するに、彼女はちょっと自己肯定感が低いのではないか? と気になったのです。
メイクは練習することで上達するのですが、そのためには自分の顔を長時間、鏡で見続けることが必要です。さらに、「メイクがヤバいことになってないか」をチェックするためにも鏡を見る。つまり、彼女は自分の顔を鏡でちゃんと見ていないわけで。自分のことがあまり好きじゃないんじゃないかと感じたから。
「ありのまま」の自分に
もっと自信を持って!
と、オンナ道の先輩として言いたいのでした。
そして、「ありのままで」があんなに流行ったけれど、広まっただけで浸透せずに、あっという間に再び「盛る」方向が巻き返してきたんだなあ、と思いつつ。
「盛る」と言えば。
同窓会で
二重瞼整形疑惑を
持たれた私ですが、
これね
加齢によるシワ
みたいなものなのよ。
とついでに「ありのまま」に報告しておこうと思います。
私の瞼に関しては、すでに他界した伯母が私が小学生の頃に「貴ちゃんは栗原の血筋の顔や。大人になったら二重になるけえのお」と広島弁で予言。しかし、二十歳を過ぎても二重にならず、伯母が他界したのち30代半ばぐらいに二重になったという……。
大人の定義は
成人ではなく
もっと広かった!
と悟ったのでした。
Aさんにはオンナの先輩としてメイクをレクチャーしてあげたいぐらいの勢いなのですが、その心情こそが「ストーカー気質の変なお客」なのではないかと自重しておりますけれども(かえって、お客の関心を集める結果にもつながりかねないということですね)。
個人的にというか、ライターとしてのお仕事の経験上「盛った後には幸せなし!」と思っております。
そのお話は長くなるので、また別の機会に!
今日も読んでくださりありがとうございました♪
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