耳が「イヤー!」と叫ぶ2020年、夏。

このところ、私の耳は毎日「イヤー!」と叫んでいる。

以下は私が日々、”耳”というパーツを頼りに装着しているものだ。

カエルさんは、たまたまソコにいて写真に写りたそうにしているように見えたので入れただけです。耳には装着していません。

サングラス+マウスシールド+イヤリング+イヤホン でさすがに耳から「重量オーバーです」と抗議があった。そもそも軟骨でできているパーツに負担が大きすぎる、ということらしい。

「すみませんでした」

とイヤリングとイヤホンを外す。

耳は音を聞くという重要ミッションのあるパーツである。 なのに、その形状からメガネ、マスク、サングラスと言った目、口、鼻のためのアイテムを装着する手助けまでする働き者。イヤリングだのピアスだのという「オシャレ担当」まで担わされる。


まるで、気が利いて、働き者ゆえにみんなの仕事を手助けてする役割になり、仕事量が増えすぎている社員、のようだ。


メガネやサングラスにおいては「鼻」もひと役かわされているので、時々、耳と「目のためになんで俺らがコキつかわれなきゃいけないんだ?」と愚痴っているようだ。特に、私は小2の頃からメガネニストなので「どうして、コイツ、コンタクトレンズにしないんだろ?」と不満爆発であろう。

遠視性乱視という、よくわからないメガネ装着理由に近年では老眼もプラスされ、もはやコンタクトレンズでの視力調整が難しいのである。

「しっかりしろよ、目」

と耳と鼻からため息交じりに苦情を言われている目であるが、「っていうか、デジタル化が進んでブルーライトがまぶしいんだよ」と目にも言い分があるのだ。


「口はいいよな、ラクで」


と耳、目から嫌味を言われがちなのが口だ。

「目は口ほどにモノを言う、っていうぐらいだぜ」

「壁に耳あり、障子に目ありともいうしね」

「口はなんだっけ? あ、災いのもとか!」

と、ことわざを引き合いに、目と耳からマウンティングされたりもするが、口も黙っていない。

「口が栄養、とらなかったら目も耳も困るだろうが!」


そもそも論をいわれ、しゅんとする目と耳。


鼻は『あれ? 鼻ってことわざに出てこないの? え?』という別次元のことでモヤッとするのに忙しく、聞いていなかった。メガネとサングラスによって、疲れ気味であるものの、マウスシールドの登場により「呼吸」の任務の負担が軽減。労働環境の向上を実感してもいるので、下手なことをいうと「鼻はいいよな」といわれかねない。黙っていた方が身のためである。


ちなみに「鼻」が出てくることわざは「目くそが鼻くそを笑う」と、ことわざそのものがマウンティングなもの。「鼻毛を読まれる」「鼻薬をかがせる」といったモノがある。


この半年ほどのマスクやマウスシールドの装着により、今までもメガネやイヤリングなどを装着するパーツとしてアテにされやすかった耳の不満は最高潮に達している。家にいるときはマスクやマウスシールドから解放されるが、仕事をするといってはメガネや通信用のイヤホンが装着される。しかも、最近では、「オンライン会議のときのおめかし」とかいって、イヤリングまでつける日がある。「ほんと、勘弁してほしいですわ」と耳の愚痴はとまらない。


「1日中、寝ててくれたらいいのにね」

「ほんとそれ」


目と耳にとって、睡眠は休息である。しかし、口と鼻は睡眠時だからといって、休憩は許されない。『また、目と耳が勝手なこと言っている』と思う。じつは口と鼻はこのところの「飛沫を飛ばすな」というプレッシャーに押しつぶされそうなのだ。そのプレッシャーの軽減のためのマスクやマウスシールドの負担を耳に押し付けているという自覚もあるので、耳には存分に愚痴ってガス抜きをしてもらおう、と考えたのである。


「ほんと、イヤー」

ため息交じりに耳が言う。

「耳って英語でearっていうじゃん? なんかさ、耳の心の叫びってかんじ?」

「っていうか、耳がいくら『イヤー』って叫んだところで、自己紹介にしか聞こえないってことじゃん」

目の突っ込みに「そうなんだよ」とため息を漏らす耳。


「寝ててくれればいいのに」


ああ、耳よ。耳の気持ちは私も痛いほど、よく分かる。というか、実際に、耳の上部の軟骨がちょっと痛い。

そうか、寝ていればいいのか。


寝て欲しい、という耳と目からの要求の誘惑に抗うのは至難の業である。



今日も読んでくださってありがとうございました♪
















栗原貴子のでこぼこオンナ道

栗原貴子/編集・ライター、コピーライター フリーランス歴23年。広告、宣伝、啓蒙につながるクリエイティブ制作、コピーライティングが得意。2019年より きもの伝道師 貴楽名義で着付けパーソナルレッスンを中心に活動開始。きもの歴は四半世紀越え。