生きにくさを感じている場合「思いやりすぎ」か「思いやれなさすぎ」のどちらかなのです。

こんにちは。ブランディング・ライターの栗原貴子です。

フリーランスで仕事をしてるせいか。

気が強そうな見た目のせいか。

実情とは違う印象を人々に与えているらしい。

「ワインに詳しそう」

「お酒強そう」

「おいしいお店に詳しそう」

「チェーン店に連れて行ったら怒りそう」

これらは、まったくの誤解でして。

お酒は強くないし、ワインを飲むと「眠いので帰ります!」。タクシーに乗り込むや否や、気絶レベルで寝てしまうため、「住所をカーナビに入力してくださいね。でないと、寝てしまいます」と最後のチカラを振り絞って住所を告げなければならない。これが、けっこう大変なのと、あとで頭が痛くなるのでワインにはめったに近寄らないようにしています。でも、飲めるし飲んだら「美味しい」って思えるから不思議。


おいしいお店は知っていますが、「自分がおいしいと体験しない限り、人に勧めることができないタチ」のためロケハン済みの数店舗をローテーションしているだけ。チェーン店に連れて行かれて怒ったりはしません。いいじゃないですか、安定感があって。


そんな私は意外にも「思いやり過ぎ」て自分の主張を押し殺すという人生を歩んで参りました。結果、自分は大変、嫌だったり、ツラかったりするのですが「相手も悪気はないのだし」と自分に言い聞かせ続け、いつしか爆発するという悪循環を繰り返してきたのです。


2016年、冨永のむ子さんが主宰されている「自分の神話塾」を経て「あ~、もう、そういうのはやめよ~」と思えるようになったのですが、そこに至るまでに私はだいぶ、長いこと「思いやりすぎ」ながら生きてきました。その原因の心当たりは2つあって、ひとつは威圧的な外見により、人々を怯えさせてきた、ということ。2つ目は支配的な母親の影響で「逆らったら大変!」というしつけにより自己主張を封印する傾向が育まれたのでした。


母親のことは、私ももう大人でございますし、距離を取るように心がけ、自分の心の平穏を優先する今日この頃でございます。


このような英才教育で育まれた「思いやりすぎ」ることができる能力は、仕事の面でプラスに働くこともありましたけどね。


自分の心の平穏を優先してきて気が付いたのは。


この世の中には私のように「思いやりすぎ」てしまう人がいる一方で、「思いやれなさすぎ」なために、生きにくさを感じている人もいるということです。


「思いやれなさすぎ」な人は、近しい人から「気が利かない」となじられた経験を持っていたり、人が離れていったり、怒ったりするときに「何がいけなかったのかが、分からない」と感じるようです。でも、ものすごーく相手のことを「考えて行動している」。だから「何がいけなかったの?」となってしまう模様。


自己主張よりも相手のニーズを優先するという「思いやりすぎ」な病に罹患していた私からすると「相手のことを考えているという文脈であなたは語るけれども、それはあなた自身の要望でしかないから、相手が怒るのではないですか?」と見えます。

つまり

「考えた結果が、スベってるよ!」



「思いやれなさすぎ」タイプは私のような「思いやりすぎ」な人が「人に合わせることがある」ということが「想定外なのだ」と知ったときに「ああ、なるほど」と腑に落ちたものでした。


「思いやりすぎ」派も「思いやれなさすぎ」派も、お互い、生きづらい。

でも、その生きづらさはお互いの相互作用によって生み出されている。


どっちがいい、悪いでもなくてお互いの「すぎ」な部分が相手を傷つけている。


思いやりすぎの私は、ある日、突然、キレるように見えるらしい。けれど、私としては「そういうのは好きじゃない」「こうしたい」という要求をその都度、述べているつもりなのですね。でも、それが「どうしても!」に見えないのか、スルーされてしまいがち。

スルーが累計されると、キレる。


キレる対象はたいていが「思いやれなさすぎ」に悩める人です。ある日、突然、キレられて「え?なんかした? どこがわるかった?」とテンパる。

相手には「突然」に見えるけれど、「伏線」はずっとあったじゃない? と、両者の思いは平行線のままです。


いちばん、平穏なコミュニケーションはお互いの「思いやり度」が同程度の場合ですが、世の中そんな都合のよいことばかりではないので、「思いやりすぎ」と「思いやれなさすぎ」の「すぎ」の部分が、日々、ぶつかりあってお互いに擦り傷をこさえているのですね。


わー、めんどくさいねっ。


そもそも「思いやりすぎ」病に罹患している人は「人からどう見られるか」を先読みして行動している。私の場合は「自分をよく見せよう」というよりは家の中の「平和を維持」するために状況を瞬時に把握して、自分の役割を察して、ニーズに合った行動をとっていたわけでして。。。。。


はっきりいって超能力レベル。

名付けて

シックスセンス・コミュニケーション


なので。

もう、こんなややこしいコミュニケーションをとるのはやめて。

やりたいように、やる!

と決めたのでした。


「思いやれなさすぎ」の人がどうしたらいいのか、私にはよくわかりません。なにせ、シックスセンスの持ち主なので「どうして、見えないの? あなたの後ろに幽霊がいるよ! うわっ。いま、あなたの耳を幽霊が舐めたよ! ベロって!」って感じなのです。


言えるのは。

「思いやったつもりの結果が

滑っていることが多いのではないかと

お見受けしますが?」

ということだけ。


例えるならば、「私、おでん、だーいすき」という人にいきなり「おでん専用」の仕切り付きの鍋をプレゼントするような滑り具合です。ご参考になれば幸いです。


誰もが多かれ少なかれ生きにくさを感じている時代ですが、

自分が楽しく幸せに生きる、唯一の方法は。

人にどう思われる? とか

自分の立ち位置は? とか

気に入られよう   とか

好かれよう     とか

そういう、自分以外の誰かの尺度や感想を気にして生きるのをすっぱりやめること。


それに尽きる。

とはいえ、長年、慣れ親しんできた

シックスセンス・コミュニケーションに

つい、戻りそうになるの今日この頃なのでした。







栗原貴子のでこぼこオンナ道

栗原貴子/編集・ライター、コピーライター フリーランス歴23年。広告、宣伝、啓蒙につながるクリエイティブ制作、コピーライティングが得意。2019年より きもの伝道師 貴楽名義で着付けパーソナルレッスンを中心に活動開始。きもの歴は四半世紀越え。