新時代の”家族”のカタチとカラオケと笑いのリフトアップ効果を実感した夜
こんにちは。栗原貴子です。
振り返ると、2016年は「家族とはなんぞや」というテーマについて考えることが多かった。私自身はバツイチ、独身、ひとり暮らし、フリーランスという「真性おひとり様」だ。そのことを「どうにかしなくては!!!」と思い悩んだりもした。しかし、結論として今は。
戸籍上の
”家族”という
概念に
縛られることは
これからの時代、
苦しいんじゃないか。
と思っている。
夫婦の離別、実母との確執はさほど珍しい話でもない。とくに実母が加齢とともにキャラクターが強烈になっていって「面倒をみてくれオーラ」が全開になったかと思いきや、支配的な言動に出るというのは、娘業界では一般常識化している。母業界では自身の老化やさまざまな不安が高じて娘に依存したい気持ちが強まるのでないか、と推測している。
2016年、長年、連れ添った夫婦の別れにまつわる話を聞いたり、母親と娘の問題を聞き、私自身の身の上や感情を照らし合わせていた。そこで、出たひとつの結論は
戸籍上の”家族”は
もう機能しない。
とうことである。その代り、というわけではないが意識としては
一人ひとり
人間としての
純粋な関係性。
そんな風に考えるほうが、今まで以上に幸せなのではないかと思うのだ。
結婚した途端、夫や妻が豹変する、というのはよく聞く話だが、戸籍上の夫婦となった途端に発生する法律的な義務が「甘え」や「依存」を生むのだと思う。そして「甘え」や「依存」がゆきすぎると決まって、夫婦関係に影を落とす。親子関係も然りである。
親も子も友達も恋人も、誰もが自分にとって「大切な人」。その中で特に大好きな人がいるとか、気が合う人がいる、というのは自然なことだ。
私自身、母親との確執にはかなり苦しんだ。その苦しみの根底には「親子」「家族」があった。
どこかの
見知らぬ
オバはんだったら
この人は
けっこう
おもしろいかも。
と母のことを思えるようになったとき、呪縛が解けたように思う。
そして、
呪縛が解けた
ことによって
母を愛おしいと
思えるように
なったのだから
不思議である。
そして、この愛おしいという感情は、動物アレルギーの動物好きの私が犬や猫に感じる、湧き上がるような愛おしさと同じであった。何かを「愛おしい」と思う感情は、対象によって変わるものではないのだ。等しく「愛おしい」。それでいいのだ。
そして「愛おしい」という気持ちが沸きあがったからといって、その感情に対しての見返り的なモノ、感謝などをいちいち求めないことも大切である。
なぜなら自分が勝手に「愛おしい」と思ったからだ。
法律的な家族、夫婦という形態で互いを縛りあうよりも、そんな縛りがなくても一人の人間として「愛おしい」と感じることができるかどうか。それを問われているような気がしてならない。
そんな私は昨夜、友人であるオッサンとスペインバルで美味を楽しんだ後、カラオケに行った。オッサンは微分音という楽譜で表現できない音を発するという、天才的な歌声の持ち主であり、それは俗に「音痴」と呼ばれるものだ。しかし、楽譜で表現できる音楽がすべてではない。
オッサンの歌はある意味、ヒーリング的な歌声であった。そして、その音程の外しっぷりに私は笑い続けた。予測不能なところで音程が外れるというアクシデントは、イイ感じに私の脳を混乱させ、その混乱がリラックスにつながっていたのかもしれない。
私は私でマイペースに唄った。口を大きく開けて唄った。
するとですね、
翌朝起きてビックリ!
リフトアップ効果が
得られたんですよ!
おくさん!!
前日の夜、私は顔面のマッサージをしていた。ここのところ、寒かったこともあり顔面の筋肉がこわばっていたのである。こわばりは老化を促進しリフトダウンするのでせっせと揉んだのだった。
このプロセスをまとめると
口の周りを
よくマッサージしたのちに
爆笑をする。
リラックスしたところで
口を大きく開けて
歌詞をしっかり
発音しながら
複式発声で歌を唄う
という方法になる。こんなに楽しいアンチエイジングがあったのか! と驚きである。
作り笑いをしたときに頬がピクピクするのは、筋肉がこわばっているからである。ピクピクする人はぜひ、試してみて欲しい。
このリフトアップ効果もそうだが、「こうすれば、ああなる」という確約ばかりがすべてではない。思いがけないプロセスが喜ばしい効果をもたらすこともたくさんあるのだから。
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