2017年書初めに「いい加減でいたほうが良い加減になるよね~」とシミジミ。
こんにちは。栗原貴子です。
本日は、新年第1回目のお習字のお稽古でした。いわゆる「書初め」。
天真爛漫(てんしんらんまん)。
お題を決めるにあたって
「貴子さんはどういう1年にしたいですか?」
という先生からのご質問に。
「笑って生きます!」
と答え、先生が選んでくれた「天真爛漫」。
ニコニコ、クスクス、ニヤニヤ、ヘラヘラ、ぷぷっ、うふふ、えへへ、ワハハハなどなど。
笑いを表す擬態語はたくさんありますが、いろんな擬態語で天真爛漫に笑って生きたい。
すると、お稽古仲間が「去年も『笑っていきたい』って言っていたよね?」と当の本人はケロッと忘れているというのに、素晴らしい記憶力で教えてくれた。
「あ、そうだった? そうだったね。去年はね、『そういう風になりたいなあ』っていう希望的なニュアンスだったかな。今年は確信したって感じ」
と「自分の気持ち」を再確認した次第。
お習字は適度に肩の力が抜けている状態で「上手に書きたい」的な気持ちがないほうが、いい線を書ける。この写真のものが「本日のいちばん」なのだけど、その次に書いたモノはいまひとつだった。「もうちょっと上手く書こう」という思いが出てきちゃっていたから、「天」の字の一画目を書いた瞬間に自分でも邪な気持ちが出ていることに気が付いた。
お習字に限らず、なんでもそうだ。
いい加減でいたほうが良い加減になる、というのは世の常であり、人生全般に通じることでもあるのだと思う。
お習字の場合、上手い下手にはじつは正解はない。最終的には好みの問題になるから。線の感じ、空間の取り方やバランスといった絶妙なニュアンスが大切なのに、書き手が「もっと上手に」とある種の”正解”を求めたところで空回りしはじめる。
お稽古の日の私がまさにソレだった。
笑って生きる!
とか言ってるくせに、
まだまだ、
肩に力が入ったよね!
ということでした。
おっと、いけねぇ。
と江戸っ子風に気が付く瞬間がないと、いつの間にか肩に力を込めまくってしまうから。
今の私にとって、月に一度のお稽古はよいペースメーカーになっているのだなあと思う。
江戸っ子風といえば。
今日、打ち合わせの席で
にじゅうしち
と
にじゅういち
を聞き間違えていたことが発覚。
しかも
掲載日が27日だと思っていたけれど、
じつは21日だったという。
要するに、私にとっては繰り上がりになる聞き間違いで。
6日間も間違うというのは、かなりの打撃でして。
余裕の
よっちゃん
じゃーん!
と思っていたけれど、一瞬で
ぜんぜん、余裕じゃなくなったのでした。
「いい加減が良い加減」
なんだけども。
耳の穴は
よーく
かっぽじっておけよっ
という、教訓を得たのでした。
(注 耳鼻科の先生によるとほんとは耳掃除はしてはダメだそうですね)
今日も、読んでくださりありがとうございました💛
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