私が”してきたこと”をもしも誰かが全部してくれたら、めちゃくちゃ「感謝」するなあと、起き抜けにふと思い「自己肯定感の大切さ」にシミジミしたのでした。

こんにちは。栗原貴子です。


フリーランス19年目を迎えましたが、独立前に会社員をしていたため社会人歴はそれよりも長くて気付けば四半世紀。結婚していた一時期を除いては、ひとり暮らしですので身の回りのことも全部、自分でやってきました。


それを「大変!」とか「さみしい!」とかあまり思わずにきたのですが、肉体のお疲れが相当レベルであると心からご心配いただいたデトックスマッサージ経験を経て、フットマッサージ機を購入。爽快な足どりを取り戻しつつある中で「わ~、わたし、本当に頑張りましたねえ」を日々、実感しております。


というのも、各種マッサージにより「肩こり等のお疲れをもはや感じないレベル」であった肉体が「お疲れを感知できる」ようになり、「お疲れ」を実感するようになったのです。そうなることは、デトックスマッサージの施術者の方からも「しばらくダルさを感じるようになると思います」と予告されておりましたが、実際に体験してみると「ああ、こういうことね」と納得のダルさ。


これまで、とくに、どこかが具合が悪いわけではなかったのですけれどもこうしたお疲れを精神力で補ってきたので「ここらで、ちょっと養生しなさい」という神様からのお告げなのだと思い、このところは比較的のんびりと過ごしておりました。


そんな今日この頃、起き抜けにふと『私が自分にしてきたことを、他の誰がしてくれたならばめっちゃ感謝だなあ』とうすぼんやりと思い、同時に『その割には、私は自分に対して感謝どころか認めてあげていなかったね~』と、自分に対して「ごめんね、ありがとうね」と伝えたのでした。


働いて

自立するなんて

当たり前でしょ!


みたいに思っておりましたけれども、そもそもそういう発想が「疲れを感知できない肉体」をつくっていたのですよね。

自分の身の回りの世話についても、先日、ちょっと実家にいきましたところ、母が食事をつくってくれたり「これ、食べる?」とどこからともななく、オヤツを出してくれたりすることにどえらい感動しちゃいまして。


自分で

購入しに

行かなくても

食料が家にある!


ということに驚きに似た喜びを覚え、それを「どうぞ」と言われることがなんとありがたいのだろうと感謝したのでした。


生計の維持をはじめ、家事もひとりでやってきた私に対して「ありがとう、わたし。よく頑張ってますね」と私自身がまったく思っていなかったわ~と気づいて。


これが、私の

自己肯定感を

下げていた一因


だったのだ! とシミジミ。


「自己肯定感の低さ」って「承認欲求」につながるのだと思うのです。自分が自分を「承認」しきれていないとき、人は第三者からの承認を強く求めるようになってしまうのですよね。自己肯定感が低いから「承認されたい」と思ってしまう。

でも、本当は反対で。

自己肯定感が低いから承認されていないと感じる

といえるのではないかと、思うのです。


夫婦とか家族とか、職場などの人間関係における場合も同じで。


承認欲求が満たされていないから、相手に不満を抱く。

けれど、そもそも

自分が自分を承認していないから、相手からも承認されない。


ということなんじゃないかと思います。


現実的には現代社会は「オンナひとりではどうにもならぬ」という困りごとってないんです。薪を集めて、薪割りしてかまどにくべて煮炊きする時代でもありませんし。狩りに出て獲物をゲットする必要もない。日常生活をひとりでなんとかやれちゃうという、お便利な時代になっているのですもの。


能力的には「ひとりでもできる」けれども「誰かがやってくれたらうれしい」「ありがたい」「感謝しちゃう」ということでもある。他の人がやってくれたれら「ありがとう。助かったわ」って言えるんだけど、自分でやったら自分に「ありがとう」とはイチイチ言わない。誰かが私のためにお風呂を用意してくれて「お風呂、入ったよ~。どうぞ」って言ってくれたら「ありがとう。お先にいただきます」っていうのにね。


そうやって自分が自分にしていることを肯定も感謝もせずにいたら、どんどん自分の心とカラダが疲れていく、ということなんだと自分のカラダのお疲れ具合を実感できるようになって思うのです。

そもそも「それだけ頑張ることができる肉体を持っている」こと事体が、感謝感激雨あられなんだけれどもね。


人と人との関わりも同じ。


今、宅急便屋さんが大変ですってことが報道されていますが、それによって「ご苦労様」「お疲れ様」とお客さんが声をかけてくれるようになったそうで。業務は相変わらず大変でも「その言葉に救われる」って宅急便の人がコメントしている記事を読んだのですが。


そうそう。

そういうこと

なんだよね~。


と思ったのでした。自分ひとりで「頑張る」ことはできる。でも、誰かにしてもらうことでの「ありがとう」って言葉はもちろんだけど「気持ち」をお互いに交換し合うことが大事なんだよね~と。


そして「誰かと」の前に「自分」のしてきたこと、していることを「わたし、ありがとう!」と感謝の気持ちを持って認めるということ。それが自己肯定感が低めの人が自分を適正に肯定するための「最初のステップ」なのだと思います。


・こんな「自分」ではダメだ

・もっと〇〇しなくてはダメだ

・〇〇にならなくてはダメだ

というような思いが強い人ほど、そしてそんな思いから頑張りまくってきた人ほど、自己肯定感を下げまくる傾向が強いというのは、自戒も込めつつの経験からの感覚なのだけれども。


反対に人からしてもらったことに対して「ありがとう」を言わない人もいて。それは父・セバスチャンなのですが、先日、実家でご飯を食べていた時に母から「はい、お味噌汁」と手渡された父は黙って受け取ったのですね。間髪入れず、


「ありがとう

でしょ!!!!」


と私に叱られておりましたけれどね(世の、ハズバンドの皆さんはこうした日常の小さな「ありがとう」が非常に大事なのだと今、肝に銘じましたね?)。


例によって、話があちこちに飛びましたけれども。

自分にも人にも、感謝感激雨あられで生きていないときに、自己肯定感は下がりまくるよっていうお話でした。


今日も読んでくださりありがとうございました♪

皆様の毎日に「ププッ」と笑顔が溢れますように!!































栗原貴子のでこぼこオンナ道

栗原貴子/編集・ライター、コピーライター フリーランス歴23年。広告、宣伝、啓蒙につながるクリエイティブ制作、コピーライティングが得意。2019年より きもの伝道師 貴楽名義で着付けパーソナルレッスンを中心に活動開始。きもの歴は四半世紀越え。