私たち人間も「自然の摂理」の一員という前提を忘れることなく生きることが大事だと思うのです。

こんにちは。栗原貴子です。

ブログの更新、ちょっとご無沙汰いたしましたが、お友達とランチしたり、高校時代の隣のクラスのクラス会に参加したり、山梨へ小旅行したりしつつ。合間にお仕事にいそしんでおりました。


『白糸の滝』でございます。この画像では見えませんが右側にもっとずらっと滝が流れているのです。


新緑が鮮やかなこの季節、山は常緑樹の濃い緑と若々しい新緑のグラデーションが美しく「自然は偉大なるアーティスト」とシミジミしたのでした。このあたりの町はいたるところに水辺があり町中にも「ザーザー」と流れる小川があったりして、その盛大な水音に都会っ子は思わず『す、水道代が!!』という反応をしてしまい、己のちっささに赤面。

動揺してしまうぐらいに気前よくザーザーと滝や小川は流れていて『ああ、豊かだ。豊かな水の流れだ』と感じ、自然の摂理が完璧であることに感動したのでした。


私たち人間も、こうした自然の摂理の一員なわけです。恩恵もバシバシいただいている。けれど、ついつい目先の”成功と言われているもの”に気持ちを奪われてしまうわけです。


でもね、でもね。


もう、目先の”成功と言われているもの”に惑わされること、気持ちを揺さぶられることは、なんか違うんだなあ。そういう時代じゃないんだなあと言うことを、感じたわけです。


”成功といわれているもの”ってすべて人工的なことですしね。そう考えると、この滝は「県内屈指の観光名所になってやる!」と思っていたわけではあるまい。悠久の時をずーっとこうやってザーザーと流れ続けてきて、それを見た人間が「おお、素晴らしい!」と感動して、結果的に観光名所になったんだよな、なんて思ったのです。


観光地ですのでね、そこでご商売を営む方も多いわけです。自然の美をお目当てにやってきた人たちを相手にしたご商売なわけで、すなわち自然に「生かされている」わけです。


自然ありき、ですからね。お手洗いも駐車場にしかないわけです。なのに、カフェでおっさんが「なんだ、今時、店内にトイレがないのか」なんて店の人に嫌味を言うわけです。おっさん、ちょっと考えてみてよ? 豊かな自然の中で、美しき水の流れの中で、どうやって上下水道を引けというの? と思ったわけです。勝手気ままに地面を掘ったりしたら、美しい滝に影響するかもしれないじゃんかと。人間がいじっていいところと、そうでないところがあるってわからないの? 


もしも、私の父・セバスチャンが上記の発言をしたとしたら私は「何言ってるの!!」とその場でしかり飛ばしたことでしょう。

しかし、セバスチャンは案外、こういうことは言わないのです。さすが、少年時代に肥溜めに二回も落ちたけれど、無事、生還した男。「肥溜めの近くに川があったのですぐに川に入って全身を洗ったからセーフだった(病気にもならなかったという意味)」と言っておりましたが、川のありがたみを実感しているだけに自然に対して謙虚です。しかし、一回目の教訓から学ばず、二回もという残念ぶりではありますが。とはいえ、このときセバスチャンが病気にかかったりして命を落としていたならば、私は生まれていなかったので「小川があってよかった。本当にありがたいことです」ということですね。


先日、ブログで

これからの時代、男性の生き方改革が重要なのではないかと思うのです

という記事を書きました。

「今時、店内にトイレもないのか」的な決めつけを持っていると、「店の中にトイレがない」ということがストレスになるし、イライラする。


それって

「男はたくさん稼いでナンボ」とか

「有名な企業に勤めることがえらい」とか



そんな風潮がいまだに幅を利かせていることと、同じような気がするのです。


その優劣は人間がつくった概念でしかないのにね。

そして、人間が作った社会システムがとくに日本ではボロボロと崩壊しつつある。


人間がつくった社会システムの脆弱さが露呈していると思うのです。


それよりも、自然の摂理にこそ真理はあって。

『白糸の滝』が「よっしゃー、観光名所になるぞ」と意気込んだわけじゃないけれども、結果的に観光名所になったのは人間の「すごいぜ!」という感動があったり、「ビジネスチャンス発見!」みたいなことだったりするんだと思うのだけども。


滝業界では「観光名所になるのは私たち滝にとって、ステイタスだよね~」という価値観はないと思うの。たぶん。


自然の摂理、営みの一環を担う存在として、そこに滝があるということなのだから。そして、私達はその滝が存在しているから、清らかな水のある暮らしを営める。


人間の生き方も、これからの時代は「自然の摂理」と人間の都合でつくった社会システムによってできた「優劣」とか「ステイタス」を分けて考える必要があるのだと思うのです。


「すごい!」って言われることを目標にがむしゃらに頑張る時代は、終わったよね。


これからの時代は

自分が自然の摂理の一員として、自分という人間が機能している感じ

を大事にするといいんじゃないか、そんな風に感じています。


そして、私は山梨紀行中にハンドルを握ってくれた友達アッコちゃんと「神様目線でコメントする」という面白おかしい会話をして笑っていました。


私     「忍野八海の鯉は神様の使者よ、きっと」

アッコちゃん「昼ごはんにソバを食べた後に、甘いものを食べるがよい」

私     「えっ? そんな些細な事までお告げを?」

アッコちゃん「食べるがよい」

私     「ありがとうございます!」


そのあと、行こうと思っていた今風の建築の蕎麦屋さんが「団体客でいっぱい」で断られ、看板を頼りに行った別のお店が「大昔から営んでおります」というかやぶき屋根の趣のある風情で、かつお蕎麦も美味で「こっちのお店に来られてよかったね」ということになったのです。


なのでね。


本当にお告げはあるよ~~~(笑)


って信じていた方が、楽しいじゃない?

「神様目線」について、書きたいことが浮かんできたのですが。それは、また次回に!


今日も読んでくださってありがとうございました。


みなさまの毎日に「ププッ」と笑顔が溢れますように♪















栗原貴子のでこぼこオンナ道

栗原貴子/ライター・コピーライター きものナビゲーターとして活動中。2019年、フリーランス歴21年目を迎え「フリーの物書きは天分であった」と確信。みなさまの毎日にププッと笑顔があふれることを願いながら、フリーランス、バツイチ独身、アラフィフの日常を綴ります。