「神様目線」になってみると人生はずっと楽になる

こんにちは。栗原貴子です。


私のライターとしてのフリーランス歴は19年ですが、その前に1年半ほどの二足の草鞋を履きながらの見習い期間を経験しました。なので、ライター歴でいったら22年にもなるのです。

「憧れます!!」

なんておっしゃっていただくこともありますが。すーっと滑るように湖面を移動する美しい白鳥も水の下ではせっせと足で水をかいているように。いろいろ、あるよねってことですね。


そんな私はライターになったのも「え? そんな方法で?」というかなり横入りなルートでしたが、振り返るとまさに「神様っているんだな」的なことでした。引き寄せ、というより「お導き」のような感じです。

以前にもブログに書いたり、お会いした方にはお話してきていることですが、あらためてザッと記しますと……。


新卒で就職した資格試験の予備校でパンフレットや書籍づくりを経験

父の会社に転職

社員6名の会社の事務仕事はすることが少なくて、ヒマを持て余す。

仕事中のヒマ時間にふと「文章を書く仕事がしたい」と思う。伝手もコネもなく、情報もまるでないので「とりあえず公募に応募しよう」と思う。

その日の帰り道に、電車の中吊り広告で某雑誌の「読者を旅行に連れて行ってあげるよ」的な企画を発見。帰り道にコンビニで雑誌を購入し、募集要項に従って800文字の作文を書いて応募。

見事旅行に行かれることに。旅先で編集長から作文を褒められて「書く仕事がしたいんです」と厚かましく言う。すると「編集者と相談しなさい」ということに。

後日、相談の場をセッティングしていただく。そして編集者の方から「いきなり会社を辞めたりせずに、二足の草鞋をはくのならば見習いをしてみませんか」といっていただく。

会社員であることを考慮いただきながら、できる範囲のお仕事をしつつライター修行。

1年半の見習い中にフリーランスへのあこがれが募るものの、唯一の事務員がやめるのもいかがなものか? と思っていたところ、会社の業績が下がり経理担当として社長である父に「ひとり辞めないと厳しいかも」と言うと「じゃ、お前が辞めろ」と父からリストラされる。

実父にリストラされたかわいそうな子、ということでみなさん、親身になってくださりお仕事を頂戴する。


以上、ダイジェスト版でお届けしますとこんな感じでした。


フリーランスになった後も、取材先で新たなお仕事をいただいたり、ご紹介いただいたりということで、あまり営業活動もしませんでした。


雲行きが怪しくなったのは「引き寄せ」とか「願望実現」みたいなことを気にし始めたころからです。「人から素敵といわれること」みたいな誘惑に負けた。。。。。同時に、「フワフワとやっていたらだめだ」とか「目標を設定しろ」みたいなお叱りを受けることも増えてきて。『ああ、世の中の人はもっとしっかり生きているのね』と良くも悪くも素直な私は思ってしまったのです。


しかし、あんまりにもうまくいかなかった。

2016年5月から半年間、受講した「自分の神話塾」で私はつくづく思い知ったのです。

「前のやり方のほうが、自分にはあってたんだ!」

前、とはライターになるあたりの頃のことです。けれど、私は気が付いた。

「あのままなんの苦労もなく生きていたら、痛みを知らない『パンがなければお菓子をお食べ』的な感じの悪い女であっただろう」と。


そういえば、私は「あなたにはわからないのよ」、「人の痛みを知らない」ということを時々、言われることがあった。そんなことを言われる意味が、私は分からなかったのだけれども。そういう部分があったのは事実だなあ、と思うのです。


でもね。「あなたにはわからないのよ」、「人の痛みを知らない」と言った人たちも、私のことを分かっていなかった。


私の4歳離れた弟が知的障碍者としてこの世に生を受け、そのことで私はそれなりに苦悩して大人になったんだよ、ってことを。


弟と一緒に死んじゃおうか。

とか。

私は未成年だから、手をかけても罪には問われない。


そんなことを思い詰めたことがあったんだよ、って。


弟のことは「神様がそういう風に生まれてこさせた」と「神様目線」ですべての事象を考えられるようになるまで。


幼いなりに苦悩したんですよね。


だから、「今、表に見えていること」とか「先入観」だけで「この人はこうだ!」という判断ってできないものです。いろんなことがあって、その人の「今」があるわけだから。けれど、私が「あなたには分からない」と言われたのは、そういう風に言われる「何か」を私が放出していたからなんだけれども。そのお話はまた今度。


かくいう私は、せっかく幼いころに身につけた「神様目線」をどういうわけか、私はアラフォーぐらいになって忘れたんです。おバカさんでしょ?


幼い頃に「神様目線」でモノを考え、行動することを知った私は「お導き」によって、なんの苦労もなく、成人して社会に出て、ライターになったわけです。つまり、多くの人が苦悩する時期もらくちんなわけです。ですから、勘違いオバサンにならないためにも、一度、つまづく経験が必要だったのだなと、「神様目線」を思い出した今、つくづく思います。


「みんな、

どうしてできないの?

簡単なのに?」


なんて言いかねなかったもん。あのままじゃ。

『浅間神社』のご神木。

大きすぎて写真に収まりきれません。

このぐらいのサイズのご神木が、いたるところにあるのですよ『浅間神社』には。


おかげさまで、勘違いオバサン、勘違いオバアサンとしてこれからの人生を過ごすことにならずにすみそうです。神様、ありがとうございます!とご神木に御礼を述べました。


「神様目線」で考えると、「すべてはなるようになっている」という前提になります。そして、そこから何を考え、何を思い、どう行動するかは自分次第なのですけれども。


ゆだねる前提


でいるのがいちばん、らくちんだと思っています。


とはいえ、「どんな行動をするのか」の部分では神様が直々に電話したり、メールしたり、LINEしたり、アポとったりはしてくれませんから、自分で決めるわけです。現実的なアクションをとりつつも、進まない、うまくいかないことは全部「りょーかい!」と保留。というスタンスがよろしいかと思います。


だいたいの行動ってやるべきことは決まっているもの。


でも、『よく思われたい』『好かれたい』『素敵だと思われたい』みたいな状況や結果を自分好みにコントロールしたいという意識が込められていたりすると、いろんなことがうまくいかなくなる。そりゃ、もう、見事にうまくいかない。笑っちゃうぐらい。


ビジネスでいえば「自分のお手柄」とか「自分がウハウハ」「会社、大儲け」みたいなことに意識が向くと、結果が出なくなるのです。「購買してくれるユーザーのこと」を一心不乱に考えると、うまくいくからほんとに不思議。


プライベートでは「楽しんでもらおう」とか「喜んでもらおう」という気持ちが大切です。自分が人から感謝されたい、存在意義をアピールしたい、いい人だと思われたい、認めてもらいたい、みたいな動機が混じると人間関係はたちまち苦しくなる。これもほんとに不思議。


と、実は書こうと思っていたこととは、全然、違うことを書いているのですけれども。


「神様目線」で考えると。


お・み・ち・び・き💛


ということで。


今日も読んでくださり、ありがとうございました。

みなさまの毎日に「ププッ」と笑顔が溢れますように♪










栗原貴子の「自分を愛せるようになる」エッセイブログ

ブランディング・ライター/きものコラムニストとして活動中です。2018年、フリーランス歴20年目を迎え「フリーの物書きは天分であった」と確信。みなさまの毎日にププッと笑顔があふれることを願いながら、「天分を生きる」フリーランス、独身、四十路の日常を綴っております。