心と体の不調感の解消は「補う」ではなく「流す」にありとシミジミしております。
こんにちは。栗原貴子です。
わたし、夜ウォーキングを始めました! といっても、まだ2日しか歩いていない。けれど、続けようと気合を入れれば入れるほどに続かない性分ゆえ、お許しいただきたい。雨の日は歩かない予定だし、疲れた日もやらない。「歩きたいときだけ、歩く」というスタンスで行こうと思う。
「続けよう気合を入れれば入れるほど続かない」という、天邪鬼な性分であると昨年、ピラティスをやりたくてスクール(?)に入会したことで、悟った。「いつでもレッスン受けられますよ会員」であったけれど、仕事が忙しくなってあまり行かれず会費がもったいないからと「月4回会員」に変更した際に、係の女性に「どのぐらいの頻度で来られそうですか?」「週1ぐらいでは来られそうですか?」などと聞かれた際に。
わけもなく
ものすごーく
嫌な気分になった
のです。係の女性は何も悪くない。
例えるならば。
彼女から「どのくらいの頻度で会う?」とか「週一でデートできる?」的な質問をされるのが大変苦手という男心みたいなもんである。
ピラティス(彼女)が嫌いなわけではない。むしろ、好きなのだけれど。
その質問は、ちょっと……なわけ。
などと感じた矢先に、深夜、自宅で家具に左足をしたたかにぶつけて「骨折か?」ぐらいの腫れっぷりになった。折れてはいなくても打撲がひどく、つま先立ちなどできず。月4回会員であっても「会費がもったいない」状態になって辞めたのでした。
その後、デトックスマッサージによって「運動したらマッサージもせなあかん」ということに気づかされた。どおりで「肩凝りによい」といわれるピラティスをすればするほど、肩が凝ったわけである。
デトックスマッサージおよび、フットマッサージ機の購入によって「滞らせない!」ことを第一の目的としたところ、なんだか調子がよいぞ、と実感した。
四十路を迎えるあたりから、男女問わず、不調を実感しやすくなってくる。
かつて、キョンキョンと鼎談をした際に「40過ぎると、(美容と健康のために)やることがいろいろ増えるよ」とアドバイスしてくれた。『年齢を重ねることでやってくる、アレもコレもは万人に平等に訪れるのだなあ』とそのとき、思った。時が経ち、自分が四十路を過ぎてみてキョンキョンの言っていたことの真の意味を理解した。
年齢を重ねることでやってくるアレもコレもを実感しはじめると、私が「運動不足を解消するためにピラティスを始める!」と思い立ったように。
人は現状に不満や不安があると、物質的にも精神的にも「足りないモノを補おう」という方向に走りがちである。
けれど本当は。
「足りないモノを補う前に、不要なものを流そう、だね」
ということなのよね、とシミジミしている。
肉体には老廃物と呼ばれるモノが蓄積し、うまく排出されない。それはムクミや冷え性や肩や腰の痛みとなって現れる。
精神にも「年食って頭でっかちになって蓄えた不要な豆知識や経験、エゴによってこしらえた傷や痛み」がこびりついていく。
肉体の調子が今ひとつなときはハッピーな気分になれないし、精神状態は肉体の健康にも影響する。「精神的にボロボロだけれど、体はものすごく健康です」という人はいない。病気じゃなくても「立ちくらみがする」とか「肩がこっている」、「なんとなく疲れやすい」といった状態にはなっていると思う。
けれど、病気じゃないし風邪もひかないよ? みたいな私のようなタイプの人間は「私は健康です!」と錯覚していることが少なくないらしい。私自身、デトックスマッサージの先生が仰天するほどのお疲れボディの持ち主であったが、「眠れます?」という質問に対して「横になったらすぐ寝ちゃいます」とのんきに答えていた。すると、
それは、
睡眠ではなくて
気絶かもしれません……。
と予想もしていなかった言葉が返ってきた。
毎晩、気絶……?
思っていた以上に私は「気力で頑張っていた」模様。
あ~、ごめんよ私のボディ。ごめんよ、私のメンタル。そんなに駆使していたなんて! ということで私はこの半年ほど「肉体のメンテナンス」に重きをおいた。「滞り感」も解消されつつあるのか、慢性化していた「肩凝りを自覚できない状態」から、自覚できるようになって(自覚できるようになったことで、正直、つらいのだけれども)。なんとなく「ウォーキングでもしようかな」という気持ちに。
足りないモノを足すのではなく、
不要なモノを流して(やめて)いった結果、
今、必要なモノやコトがわかる。
それは「断捨離によって、着る服がない状態から解放される」というのに似ているように感じるのです。
今日も読んでくださって、ありがとうございます。
みなさまの毎日に「ププッ」と笑顔があふれますように♪
0コメント