「空気を読む」ことを今すぐやめれば、世の中はもっと丸くなる。

こんにちは。栗原貴子です。


最近、つらつらと「空気を読む」ということについて考えておりました。

思えば、「空気が読めない」人のことを「KY」というようになった時代がありました。あれは、いつ頃でしたでしょうか? 


しきりに「空気を読む」ことが啓蒙され、求められてきた結果。


もう、エスパーレベルの「察する能力」を求められているような気がしてならない。


そして、これが今の社会に蔓延しているギスギスとした雰囲気を作っているんじゃないかな、と感じるのです。


同時に。


自分の思いや考え、感情を「言葉にする」機会が失われていって。

「言わなきゃわからないの?」とか、「察しろよ」みたいな言い分がまかり通るようになっていて。


どんどん、生きにくい世の中になっているように思えて仕方ないのです。


4月にダイアログ・イン・ザ・ダークに行ったときのことを記事にも書きましたが、暗闇の世界では人の表情を見ることができないので、当たり前だけれどもとにかく「言葉にする」ことが大事なのですね。


言葉がすべて、なのです。


反対に「空気を読む」「察する」なんて必要ない。それがね、心地よかったんです。


誰かにして欲しいこと、伝えたいことはちゃんと口に出そうぜ、ってことだなあと思って。


ちょっと前に、帰宅ラッシュの時間帯に遭遇して、満員電車に不慣れな私は躊躇していると、その場にいた小柄なおばあちゃまが「わたしは次の電車にするわ」といって列からそれたのです。なので「わたしも次にします」と言い、なんとなくおしゃべりしていたのです。そのおばあちゃまが「最近は詰めたり、譲り合ったりしないのよね。みんな、自分のことで精一杯の時代なのよね。誰もが生きるのに必死なのよ」とおっしゃるので「毎日、これでは疲れ切ってしまいますよね」などと会話をしました。


ホームが混雑しており、私は点字ブロックの上に立っていました。ふさいではいけないのは知っていたけれど、それぐらいホームがギチギチだったのです。すると、背後からトントンと肩を叩かれました。振り向くと、白杖を持った方がやってくるところで、私の近くにいた男性がそれを教えてくれたのです。


じつは、私はそのとき『え? 肩を叩くより声をかけるべきでは?』と思ったのですが、よくよく考えてみたら名前もしらない相手の注意を人で埋め尽くされた混雑した場所で喚起するには「触る」がもっとも手っ取り早いし、それしか方法がないなと気づきました。昨今の痴漢問題と照らし合わせれば、「見知らぬ女性の肩を叩く」なんていうリスキーな行動に出てまで点字ブロックをあけてね、と教えてくれた。


あなたは

勇敢な紳士です!


白杖の方が無事に通過され、電車がやってきました。さっきの電車よりはマシだけれども、それでもけっこう混んでいる。小柄なおばあちゃまを振り返ると「乗るわ」とおっしゃったので「では私も」と乗り込みました。私はおばあちゃまの後ろから「通してさしあげてください」と言いました。すると、みなさんが詰めはじめて車内にスペースがつくられ、最終的にはおばあちゃまは席を譲られ着席。


一緒にホームにいた人たちも、なんとなく『おばあちゃん座れてよかった』という表情。


あれ?

世の中

丸いじゃん!

言葉にするって

いいね!

ということで。


おしり饅頭。

昨日、出先からの帰宅途中、ひとり晩御飯をした中華料理屋さんのセットメニューについてきた。モチーフは桃なんだろうけれど。ヘタの薄緑の角度のせいで「おしり」にしか見えないという……。


ぜったい、

わざとでしょ?笑


おいしゅうございました。


「丸い」ってなごむね。


今日も読んでくださってありがとうございました。

みなさまの毎日に「ププッ」と笑顔が溢れますように♪



栗原貴子のでこぼこオンナ道

栗原貴子/編集・ライター、コピーライター フリーランス歴23年。広告、宣伝、啓蒙につながるクリエイティブ制作、コピーライティングが得意。2019年より きもの伝道師 貴楽名義で着付けパーソナルレッスンを中心に活動開始。きもの歴は四半世紀越え。