願ったり叶ったりとはこういうことね! を実感した日曜日の夕べ<浴衣で古民家で落語会!>
こんにちは。栗原貴子です。
皆様の毎日にププッと笑顔の瞬間が溢れることで、世界は平和になると私は固く信じている。ミサイル発射に恐れおののくのではなく、平和を祈ることが大切だ。マザーテレサも「世界平和」を祈り続けたではないか。ということで、私はププッとなれるようなエッセイを書いていきたいな、とシャワーを浴びながら思ったのである。
笑いの力は偉大である。
笑うと脳からいろんな物質が出てハッピーになることや、免疫力がアップするといった健康効果があることは周知のとおりだ。もちろん、科学的にも立証されている。眉唾とんでも健康法ではない。「医師が笑いを処方する時代が来る」とまで言われている。
糖尿病患者さんを集めて落語を聞いてもらうと、落語のあとの血糖値が安定するという実証実験のことを読んだことがある。血圧も安定するそうなので、血糖値や血圧が高い人はぜひ、試して欲しい。
さて。
日曜日の夜、久しぶりに落語会へ出かけた。池上の古民家カフェ蓮月で開催された、三遊亭全楽師匠の落語会である。
この数日前、私は今どきのお笑いでちっとも笑えない自分を発見していた。爆笑している人を見て『どうして笑えるのだろうか?』と不安になった。違う惑星の人なのかな? ぐらいの気分。
私はそもそも笑わない人、というわけではない。落語はもう大爆笑なのである。そうだ、私は落語が好きではないか! と気づき『落語会にでも行きたいな~』と思った。
さらに、この日は取材と原稿書きがひと段落して、遅まきながら夏が終わりかけていることに気が付いたばかりであった。『そういえばこの夏、浴衣を着てないな』と思った。忘れていればどうってことないけれど、一度気づくと「行きたい」「着たい」となるものである。
浴衣に関しては、別に何の催しがなくても普段着として着ればいいじゃんかってことなのであるが、浴衣を着て近所を歩くとちびっこが「ねえ、どこでお祭り? それとも花火?」とからんでくるのでいささか面倒くさい。
『オバサンの頭の中は年中、お祭りで花火が打ちあがってるんだよ』
などというジョークが通じる相手ではないので返答に困るのである。ちなみに、成人の日は、着物を着ていると「ねえ、成人式なの?」と声をかけてくるちびっこがいるので自粛している。どうして私はこうも、ちびっこから話しかけられてしまうのだろうか?
そんなことをツラツラと考えていた土曜日の午後、FBのメッセージが届いた。「ご参加の皆様へ」というタイトルの落語会の参加者へのご案内である。え? あたし申し込んでた? と一瞬、焦ったがこのイベントの告知を「行きたいなと思って保存した」のを思い出した。保存した関係で私にもメッセージが届いたのであろう。その途端「行きたい!」という思いがふつふつと湧いた。
なぜなら、落語会の会場は「古民家カフェ蓮月」だったのだ。ここまた、以前、美容院で「大田区内にこういうところがオープンしたんですよ」とリーフレットをいただいて「行ってみたい」と思っていたのだ。
落語会のドレスコードは浴衣(もしくは和文化を感じるアイテムを1点持参)、そして落語。これはもう、行くしかない。申し込んでいないが行かれるに違いない。こうなったらMessengerのやりとりなどまどろっこしいので主催している呉服店に直電。
「お席はまだ余裕がありますでしょうか?」
かくして、私はイベント前日に滑り込みで申し込み、参加できることとなった。
こうして「落語に行きたい」「浴衣を着る」「行きたいと思っていた古民家カフェに行く」という3つの願いが一気に叶えられたのである。
「引き寄せね~」なんて声が聞こえてきそうだが、そうではない。
そもそも、1か月ぐらい前の「私」がFBで発見したイベント告知を「保存」したことに端を発する。FBの機能なのか、操作の問題なのかはわからないが、結果的に私はリマインドを受けることになったのだ。そこで、押し寄せる「行きたい欲」が勝り、ダメ元で「お席は~」と電話をしたのだ。すべては、こうなるようになっていたのである。
どちらかといえば、お導き。
参加できることが分かった途端、私はタンスから浴衣を取り出し、衣文掛けに吊るした。衣文掛けという単語の響きが私は好きなのだが、最近は「衣文掛け」「お匙」などという単語を知らない人が増え、多用すると老人扱いであると聞いた。しかし、衣文掛けもお匙もわからぬボキャブラリーが乏しい人と言い争いをしたところで私が勝つに決まっているので「老人扱い、上等」である。
しわ取りのために浴衣を吊るしたつもりが、眺めているうちに『そうだ、帯の結び方を考えよう』などと浴衣を着はじめる。半幅帯はいろいろな結び方ができるのだ。あれこれ、帯を結んではほどき、結んではほどいてを繰り返した。楽しすぎる。一人遊びに夢中の子猫のような気分。
かくして、私は願ったり、叶ったりの日曜の夕べを過ごしたのであった。
自撮り棒を所有すべきか、シャッターを押してくれる同居人を探すべきか。自撮り棒は金で買えるが、同居人はそうはいかない。また、同居人がいたとしても、都合よく在宅しているとは限らない。人間だもの。自撮り棒が優勢である。
へたくそな自撮りで表現したかったのは、浴衣の衿を抜く塩梅、である。この夏の若き女子たちの浴衣の着付けで気になったのが衿がまったくもって抜けてないことであった。観察の結果、彼女たちはスマホ肩と呼ばれる状態ゆえ、着ている内に衿がつまってしまうのだ、ということに気づいた。着付けの問題ではなく骨格の歪みのせいであるからして、私にはなすすべもない。残念である。
私の右隣の殿方は東急ハンズの店員さんではない。三遊亭全楽師匠である。高座ではもちろん、羽織姿でいらした。男性の夏の着物の羽織姿と言うのは、とてもいいなあと思った。師匠の落語をかぶりつきで聴き、爆笑した。最後の方は面白いことを言ってくれる、というワクワク感だけで笑い続けていた。
全楽師匠の手ぬぐいを求め、サインをいただいた。手ぬぐいにかけられた熨斗の「三遊亭全楽」という文字は円楽師匠によるものだそうだ。サインをいただいた手ぬぐいを使って人に「これね~」と見せびらかそうと思うのだが、使用するのはダメなのでしょうか。コレクター魂を持たない私にはよく分からない。とりあえず、袋に入れて保存しよう。
いろいろと楽しい落語会であった。
最後に、FBのイベント告知を「保存する」にクリックした過去のわたしにお礼をいいたい。ありがとう。貴女があの日、あの時、保存してくれたおかげで、私は3つもの願いを一度に叶えることができました。今日のわたしも、未来のわたしの役に立てるように生きたいと思う。
今日も読んでくださって、ありがとうございました。
みなさまの毎日に「ププッ」と笑顔が溢れますように♫
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