天国への旅立ちを見送る間際に「ありがとう」を言わせてくれてありがとう。
先日、お見舞いで訪れた病院のラウンジに置いてあった血圧計で測定したところ 最高血圧105、最低血圧59、脈拍数65拍/分であった。ちなみに測定時刻は15:46PM。この時間帯の数値としては低い。
とはいえ、「朝が苦手」という自覚もなく生きてきた。
私が「朝が苦手」という自覚もせずに生きてきたのは、ひとえに「出勤のために朝からきびきびと活動する」必要がないフリーランスだったから。
実際の私は起き抜けはかなり、ぼんやりしてるようだ。しかし、いかんせん、ぼんやりしているのでぼんやりしていることにすら気づけない。起床時間は遅く、就寝時間も遅いという典型的な「ふくろう型」。日が暮れてくるとだんだん、調子がよくなってくる。
そんな私が、最近は朝6時半とか、7時にパチッと目覚める。起床後のぼんやりは相変わらずだと思うけれど、とにかく目が覚めるようになり、早起きなので夜も早々に眠くなるようになった。
しかも、おなかが減って目が覚める。
もそもそと起きて、コーヒーを淹れ、バナナを食べる。お腹が減っている割には、バナナ1本で大満足。椅子に腰かけて瞑想をしつつ、思う存分ボーっとする。
いつから早起きになったのかも、起き抜けはぼんやりしているため覚えていない。気が付いたら早起きになっていた。加齢による現象のひとつなのだろうか? その割には血圧は低いままだ。朝食抜きで健康診断を受けると、朝の安静時血圧は80台である。「今朝は体調がすぐれないですか?」とお医者さんに心配されるのは、いつものことである。「体調は悪くないです」と答えると不思議そうな顔をされる。
最高血圧が80台というのは、「死にかけている人の目安」であると知ったのは、救命士に応急処置についての取材をしたときであった。どおりで、いつもお医者さんに不思議そうな顔をされるわけだなあ、と腑に落ちた。
死にかけの血圧の割には、私は頭痛やめまいの不定愁訴もなく元気なのだ。
今年の9月7日に愛犬のパグ犬 風太が14歳と8か月で天国へと旅立ち、翌10月7日に友達の愛猫が17歳で旅立った。そして、先日、伯母が旅立った。
今年は9月から毎月、天国へのお見送りをしている。
冒頭に書いた血圧は伯母が入院していた病院にお見舞いに行ったとき、ラウンジにあった血圧計で測定した。病院とか薬局にある、数値がレシートで出てくる血圧計だ。
その数字を見て伯母は「血圧が高い人と低い人が足して割れたらいいのにね」と言うので、「ほんとだね。そうすればみんな調子よくなるのにね」と言った。
伯母は元気な頃「おもしろい、やさしい、いじわる」がそれぞれ同じ分量で配分されているような人であった。おもしろいが1/3、やさしいが1/3、いじわるが1/3 という配分。おもしろいとやさしいを合わせれば 2/3 になるのに、どういうわけか 「いじわる」を人々の記憶に残しがちで、伯母と母と叔母 の三姉妹は複雑な関係であった。伯母よりも「いじわる濃度」の高い祖母の存在も大きく影響していたのだろうな、と思う。
伯母のお見舞いに母はひとりでは行きたくなかったようで、私と私の妹を誘った。ちなみに、母と妹はともに「3人きょうだいの真ん中っ子」である。出生順による性格的な傾向があるのは周知だが、長女である私、すなわち第一子のキャラから見ると「あなたたちはマイペースだね」であり、そのマイペースは第一子キャラの目には、ときに「身勝手」に見える。身内同士だと特にそう感じる。
都合の悪いことをスルッとかわす(ように第一子からは見える)、その”技”をぜひとも伝授していただきたいものである。
病床の伯母は三姉妹の長女だ(「伯母」と「叔母」の使い分けでお察しの方もおられるだろうが念のため)。
長年の病との共存により伯母の肉体は弱り切っていた。けれど、会話をしている分には元気な頃と変わらない。電話で話していたら具合がよくないことなど、気づかないな、と思った。そして1/3あった「いじわる成分」がすっかり抜けており、人に向けられることが多かった毒舌のトピックスは「MRIの装置」に向けられていた。しきりに「背中が痛いから、布団を敷いてほしい」、「この病院のMRIは中古なのよ。だから(撮影するとき)しんどいのよ」といっていた。患者歴が長いとMRIの新旧の見分けもつくのだな、とMRIバージンの私は感心した。
しばらく話をしていると、おもむろに、引き出しから財布を出してと言い、私たちに1万円ずつ、おこづかいをくれた。「もらえないよ」と辞退すると「遠くから来てくれたんだから交通費にして。どうせ持っていけないんだから、私、お金をバラまくことにしたの」という。中間子コンビは黙りこくっていたので、私は「おこづかい欲しさにまた、来ちゃうよ」と言った。中間子コンビも「そうだよ」と同調した。
「そうして。またあげるから」
病室で一緒に写真を撮った。最初の1枚をチェックすると伯母は目をつぶっており「あらやだ。私、もう死んでるみたいじゃない」と超絶ブラック・ユーモアをさく裂させた。
普段はブラック・ユーモアに輪をかけたブラックな返しをしがちな私も、さすがに「撮り直せば大丈夫」と焦ったが、長女同士、ここでそういう発言をする気持ちは痛いほど、分かった。
みんなが気まずくならないように、自分から率先して突っ込んでいくんだよね。
その2日後、伯母は息をひきとった。
伯母は左利きで、両方の手で箸を持つことができた。
私たちが子供の頃、すき焼きを囲んでいるときに伯母が両手で箸を持ち、鍋から肉を取り出し、左手の箸でちびっこたちの皿に入れながら、右手の箸で鍋に具材を追加する様子に『かっこいい』と見とれたことを、私はよく覚えていた。
「あのとき、伯母ちゃんかっこいい! って思ったんだよね~。両手でお箸を持って、こうやってすき焼きして」
身振り手振りを交えながら、ちゃんと伝えられてよかったなと思う。
帰り際、「来てくれて、ありがとうね」と伯母はいい、私たちも「ありがとうね」と言った。お小遣いをもらったのだから、当たり前なのだけれど。
最後に「ありがとう」を言いやすくしてくれたんだね。きっと。
訃報が届いた翌日の夕刻、帰宅途中の道で近所の顔見知りの黒パグちゃんにバッタリ会った。
風太を見送ってから、初めてパグちゃんを撫でた。
パグ特有の肉感に触れ、ブヒブヒ、ゴワゴワ、グーと鼻を鳴らす音を聞いた。
悲しみに襲われることもなく、可愛いね~と撫でることができた。黒パグちゃんはおでこをグリグリと私の脚に押し付けてくれた。親愛のしるしである。「グリグリしてくれるの。ありがとうね~」となでなでした。
この日の朝、私はかつて風太の里親を探していたKさんと、数年ぶりの再会をしていた。パグが結んでくれたこの数奇なご縁の話はまた、別の機会に書いておきたいなと思う。
Kさんと顔を合わせた瞬間、お互いに「ありがとう」といったきり言葉に詰まり「まだ泣けちゃうね」と苦笑いしたばかりだった。
そして、Kさんと別れた後にひとり立ち寄ったカフェで「お久しぶりです」の人にバッタリと再会していた。
「お会いできてよかったです。ありがとうございます」
自然と口から出ていた。
天国へ旅立つ命は、見送りをする人に「ありがとう」を言ったり、言われたりする機会を増やしてくれるのだと思う。
この約3か月の間の私の人生には永遠の別れと再会、そして新しい出会いがめまぐるしく交差している。
今朝も空腹でパチッと目が覚めた。
コーヒーを淹れ、バナナを食べ、生きていることのありがたみを実感した。
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今日も読んでくださり、ありがとうございました。
みなさまの毎日にも「ありがとう」が溢れますように。
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