初寒波、初超絶多忙、初インフル2018冬。
お久しぶりです。栗原貴子です。
気が付けば1か月ぶりの更新。ご無沙汰をしまくった間、何をしていたのかと申しますと「初めてづくし」の日々を送っておりました。
1月半ばごろから「フリーランスになってから、いや、社会人になってからこんなにも仕事が忙しかったことはあっただろうか?」な超絶多忙を経験。今、手帳をチェックしたところ約3週間の間に長い原稿、短いキャッチコピーのボリュームの多い少ないをとりまぜて、18回の「なんらかの締め切り」を経験。「ありがたや、ありがたや」とこの超絶多忙を楽しんでいたのでした。
実際、ここまでの忙しさを「やりきっている最中」というのは、「最中って”さいちゅう”とも”もなか”とも読むよね」的な余計なことを考える暇もない。日頃、いかに自分が「余計なことにばかり気を取られているか」がよく分かる体験でした。
同時に、この時期には猛烈な寒波が到来。東京にいても、北国を旅しているかのような気温。それもそのはず、東京では50年ぶりの寒さだったようで、どおりで「東京ってこんなに寒いことあったっけ?」と感じたわけです。
猛烈に寒い、超絶多忙な日々はほんとに「余計なこと」を考える暇がありませんでした。しかし、私にとって「余計なこと」は原稿やコピーを作成する際の「糧」。なので「大雪が降った日の深夜、『明日の朝の自分がすっころばないようにマンションのエントランスの雪かきをしよう』と、ちりとりで雪をあつめて雪だるまを制作」といったひとり遊びを満喫するなどして、積極的に「余計なこと」へ意識を向けたりもしておりました。
原稿を書きまくり、「あ~! もう集中力の限界!」というようなタイミングで、遠方で暮らす旧友がなぜか都内に来ていて我が家の近所にホテルを取ったから晩御飯、一緒にどう? 的なお誘いLINEが。あまりの絶妙なタイミングに小躍りするといった「息抜き」もあり、超絶多忙をエンジョイしていたのです。
しかし、超絶多忙が落ち着きはじめた頃、次なる「初めて」が私を襲いました。
B型インフルエンザ罹患
インフルエンザの人と一緒にいても、看病をしてもこれまで、まったくうつらなかった私。学級閉鎖はただのバカンスでしかなかった私。取材でお会いした免疫学の研究者の方に、「栗原さんみたいな人は免疫力、高いんだよね~」と、顔面を見るなり断言された私。権威あるお墨付きをいただいたこの、あたくしが!?
まさかの
インフルエンザ
患者デビュー
初めてのことゆえ、「インフルエンザ症状である」ことにすら気が付きませんでした。ただ、発熱は自覚しており、熱が「38度6分もある」ということに「前日、一緒にいた人は大丈夫かしら?」と思い「私、今、お熱が38度6分あるのだけど、あなたは大丈夫?」的なLINEを送信。そこではじめて「病院に行った方がいい」といわれ、ことの重大さに気が付くというおまぬけぶり。熱で判断力が鈍っていたのだと思いたいです。
助言に従って(私は素直です)翌朝、クリニックに行くも待合室で小脇に挟んだ体温計は
37.0°C
で点滅。家ではかったときには38度ぐらいあったのに? もしかしてうちの体温計が壊れてる? と思い『たいしたことないだろう』と余裕をぶっこいて待合室で雑誌などめくっておりました。
ちなみに、私はこのクリニックで検診を受けています。
「40歳を過ぎて身長が1㎝伸びている」とか「83-50というアイドルのバスト、ウエストみたいな血圧なのに元気」といった、小首をかしげることの多い人物であることを、ここの女医さんはよくご存知。
診察室に呼ばれると、これまでのお熱と症状の経緯を質問され、詳しく回答する私。神妙な面持ちでカルテにメモる女医さん。
『待合室で突然、解熱することぐらいやりかねない』
と女医さんが思ったのかどうかは定かではありませんが、ひとしきりの問診を終えたあと「流行っているので、念のためインフルエンザの検査をしましょう」と、女医さんは例の綿棒のような検査キットを取り出したのです。
「やったことありますか?」と女医さん
「初めてです!」と私。
「すぐに済みますからね~」と言いながらグリッと綿棒を私の鼻の穴に突っ込む女医さん。
『ひ~~~~~~~』私の心の声。
これまでずっとプールや海で鼻に水が入ったときが、もっとも鼻の奥が痛いシチュエーションだと思っていた。ところが、インフルエンザの検査は、プールや海でのハプニングなどまったく比べ物にならないほどの痛みが鼻腔を貫く代物。正直、度肝を抜かれた。
実際にすぐに済んだものの、痛みのショックで呆然とする。こんなの人生経験の浅いお子様は泣くに決まってるじゃないか。それなりに生きてきたオバサマだって、ほら、涙目になってるぞ。チーンとかんだ鼻水で検査するわけにはいかないのか? 検査結果が出るまでの間『鼻水チーンの場合は、手鼻でかんだほうがいいのかな?』と具体的な検査方法を考えた。
結果はクロであった。
待合室で解熱をしてごまかそうとした企てが未遂に終わったからか。検査のショックのせいか、再び発熱しているのが分かった。処方箋を握りしめて薬局へ行く。処方箋を提出後、椅子に座っているとおじいさんの薬剤師さんが私の名を呼んだ。立ち上がろうとすると手でそのまま座っているように、と制された。そして、おじいさんのほうから近寄ってきてくれた。
「かわいそうだね~。
しんどいね~」
おじいちゃんの優しさが身に沁みる。
インフルエンザ患者は敬老の心など発動できないのだ。
敬老の心は、相対的に若い方の人の心身の健康あってのものである。だからこそ、年長者は若人の心身の健康に心を配ることが大切なのだ。国会議員の皆様も実感したほうがいぞ。
カチカチしてスーッと吸うという謎の薬を処方され、使い方をレクチャーされた。こんな薬を見るのは初めてだ。おもしろすぎる。
「すーってしてね」と薬剤師さん。
「吸うんですか?」と私。
「お薬だからね」と薬剤師さん。
吸うに決まっているじゃないか。何言っているんだ、私。でも、この薬の容器の形状がホイッスルとか犬笛のような、「吹く」感じなのだ。
家に帰って、さっそく吸った。いけないお薬を吸引しているかのような背徳感にしびれたが吸っても吸っても「吸っている実感」がまるでない。インフルエンザ患者は味覚がだいぶ怪しくなっているので、味付けをもうちょっとしっかりして欲しいな、と思った。
初インフルエンザ体験であったが、38度6分が最高だったこともあってか、発熱しているときは実はさほどツラくなかった。ウイルスとの戦いが終わり、解熱してからの体の痛みやだるさのほうがしんどかった。しんどいけれど、在宅ワークができないほどではなかったため、私は何食わぬ顔で仕事をしていた。電話でもバレなかった。さすが、私。
人に会う予定の場合は、歩くウイルス兵器になっている身の上としては、キャンセルするべきところだ。しかし、いくらテクノロジーが発達したとはいえ「電話でインフルエンザをうつす心配」はご無用である。未来ではウイルスも生存戦略のためにデジタルでうつるように進化するのだろうか? 『パソコンが感染すると持ち主も感染』みたいな、そんなウイルスが登場したら、セキュリティーソフトはどう対抗するのだろう?
発熱→解熱→節々の痛み→くしゃみ、鼻水→咳 と、きっちり、セオリー通りのプロセスを経て快方へと向かっていった。
体調がよくなるにつれ、「餃子」「焼肉」「とんかつ」「うなぎ」への渇望が募っていった。「おかゆ、うどん生活」の反動である。しかし、いまだ突発的にくしゃみや咳が出てしまうので歩くウイルス兵器、外食も慎まねばならない。『焼肉は火を燃やしているからウイルスも消失して大丈夫かも』とちらっと思ったが、そんなわけないだろう。それに、「食べたい」のは気持ちだけで、胃腸が受け止めてくれるかどうかは、いくら胃腸症状が皆無だった私であっても微妙である。
ネットのデリバリーサイトで「餃子」「焼肉」「とんかつ」「うなぎ」の画像を眺め、完全回復をした暁には何を食べようか、と妄想して楽しんだ。生きているって素晴らしい。こんなに豊かな食生活が送れるって素晴らしいとうっとりする。
こうして、私の初めて尽くしの冬が収束に向い、窓の外を見ると日差しがすっかり春めいていた。
「殺菌」
とつぶやきながら、ベランダで日を浴びる。
薬局で投薬を受けた際に「インフルエンザ、はじめてなんです」と言ったところ「今年は初めての患者さん、多いんですよ」といわれたことを思い出した。初めてのインフルエンザ体験はなかなか興味深かく、思うところがたくさんありました。
さて、そろそろ通常運転モードへと戻りましょうか。
今日も読んでくださってありがとうございました。
みなさまの毎日にププッと笑顔があふれますように♪
昨年のソメイヨシノさん。今年も楽しみにしてるね~。
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