暮れも押し迫ってやってきた「決意」と皆様に感謝を込めて!!今年もありがとうございました!

こんにちは。栗原貴子です。

今日は大晦日であるが、私は1年が終わるのがちょっと「苦手」であった。


物心ついたころから「苦手」であったが、とはいえ「苦手なワケ」を考察したことがなかったので「なんで苦手なのか」はよく分からない。


人間が決めた暦のために「うるう年」なるものまで導入して無理くり調整しているカレンダーに違和感があるのかもしれない。宇宙の営みって、そんなちっちゃいスケールじゃないんだよ! 的な。まるで「ビックバン」を見たかのような上から目線である。私は何を言っているんだろうか?


とはいえ、私も人間なので「よいお年をお迎えください」と言いあったり、メールに書いたりする。そして、そういう風習は「いいな」と思う。普段はやらないコミュニケーションを、ちょっと照れ臭そうにする感じがスキだ。年末はビジネスシーンにおいて、良くも悪くも「人間性」が垣間見える。その垣間見えた人間性が「意外とお茶目」だったりすると、嬉しくなる。


日本人は「お節料理」という「昔ながらの保存食の詰め合わせ」をありがたがって食べるという習慣を持っている。「お重につめれば、ただの佃煮も豪華に見える」という発想や、そういう習慣が連綿と続いているのもよい。「雑煮」も「残り物を煮て作る」から「雑煮」という漢字が充てられているのであり、ルーツはめでたい食べ物ではない。


とはいえ、私は今年は、鎮守神社にて夏と冬の大祓をしっかりと行っているので、節目とか儀式的なものは好きなのだ。


たぶん、「そういうものだから」と起源も知らないくせにイベント的に、年末年始の行事をやろうとするマインドが、いやなのだと思う。同様の理由で「収録っぽいお正月番組」も嫌いだ。


そんな理屈っぽいオンナであるが、2018年は「思いがけない出来事」に驚き、喜び、感動した1年だった。


例えば、10月の「トヨエツ様 生拝見」。四半世紀越えのファンの想いが結晶した瞬間であった。また、6月に購入したインドのワンピースに誘われたかのように、国際派でもなんでもない私にインド紀行の仕事のオファーがやってきた。


ほかにも、いろいろあった。同時に「私はもう、こういうことはやりたくないんだな」という自分の本音にも直面した。そして、自分が持っている能力を前面に出していこうという気持ちに、やっとなれた。


私は「仕切るのが得意」なのである。かっこよく言えばディレクション。

この「得意」は文章を書くことと同じぐらいに、神様からのギフトレベルの「得意」である。自分でいうのもなんだけれど。もちろん、極端な「不得意」もある。


この「仕切る」という能力について、私はずっと発揮することをこばんできた。「でしゃばり」と言われ、傷ついた記憶などが私をそう、させていた。


けれど、この年末。暮れも押し迫ってやりとりしていた仕事関係の方から「見事な仕切りでした」というメールをもらった。じつはちょっと泣いた。嬉しくて。そしてこの得意なことを、もっともっと世の役に立てようという決意を固めた。


「いい仕切り」とは、物事をスムーズに運ばせるだけではなく、関係各位の満足度や充実感が高い状態で完結させることだと私は思っている。誰かに我慢やムリを強いりながら「終わらせる」のではない「いい仕切り」を来年からもっともっと意識的にしていきたい。


この「見事な仕切りでした」というメールは、私に1年が終わるということが、とても意味のあるものなのだとも教えてくれた。年末だったから、こういうメッセージを送ってくれたのだろうな、と感じたから。


この1年、ご縁をいただいた皆様。楽しい時間を共にしてくださった皆様。

本当にありがとうございました。

今、私は「人生どうなるかわからない、それが面白い」を実感中でございます。

そんな私ではありますが、来年も何卒、よろしくお願い申し上げます。

そして、みなさまの新しい年がすばらしい1年となりますこと、心よりお祈り申し上げます。

12月1日、インドへと向かう機内から見えた富士山。機長が機体を傾けて見せてくれた絶景です。私のスマホのデコり具合の映り込みが気になりますが、肉眼では火口も富士五湖もしっかりと見ることができました。インド人乗客もこの絶景に大喜びしていて、なぜか日本人(私)が「すごいでしょ? キレイでしょ?」と自慢げにふるまってしまうという、富士山のパワーを実感。

栗原貴子のでこぼこオンナ道

栗原貴子/編集・ライター、コピーライター フリーランス歴23年。広告、宣伝、啓蒙につながるクリエイティブ制作、コピーライティングが得意。2019年より きもの伝道師 貴楽名義で着付けパーソナルレッスンを中心に活動開始。きもの歴は四半世紀越え。