モヤモヤとした感情を生み出していたのは「自分へのダメ出し習慣」だった!
こちらのブログがご無沙汰になりつつ、きもののほうのブログに「普段着きものスタイル」をアップしておりました。
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私にとって、きものはファッションです。
「今日は何を着ようかな?」の選択肢のひとつが「きもの」。
そんなお話をすると「私は浴衣すら着られないんで……」とおっしゃる方が必ずいます。
この会話の展開、すごく居心地悪いです。
「私は浴衣すら着られないんで」とおっしゃる方は普段から、無意識のうちに「できる」「できない」を「優劣」に変換して「できる=優」「できない=劣」と解釈しちゃう習慣ができあがっているんですよね。
今の時代、きものが着られなくても困ることはひとつもないんだけれど。
きものを着ることは「できたほうがいい」とカテゴリーとされて「優」に区分されている。
「優」も「劣」も、誰かが決めた尺度でしかなく「できないあなたはダメですよ」なんて誰も言っていないのに。
「できる=優」
↓
「できない私 = 劣」
という思考回路によって、瞬間的に「自分にダメ出し」しちゃっている。
確かに、世の中には「こんなことも、できないの?」というセリフで他人を責める人もたくさんいるし。
「どう? 私はきもの着て凄いでしょ?」というマウンティングをしかけてくる人もいるし。
「どう? 私のきものは高級なのよ」というマウンティング方法も可能だし。
二極思考で他人を裁く人もたくさんいるから。
「自分へのダメ出し」は「100%あなたの被害妄想ですよ」とも言い切れないんだけれども。
「自分へのダメ出し習慣」を持ち続けている限り、モヤモヤする感情を抱え続けていくことになります。
私にとって「きもの」は「好きなコト」であり「好きなモノ」でした。
「好きだから着たい」という気持ちで始めたモノが、次第に仕事になっていって嬉しかったのに。仕事になったことで次第に「評価されたい」というエゴが芽生えてきた。そして、そのエゴが二極思考となって、結局、自分がモヤモヤと苦しむことになった。
そうして「自分へのダメ出し習慣」ができあがっていって。
好きだったのに、きものを楽しめなくなっていきました。
だから、今、再び「好き」という気持ちに立ち返ることができて、本当に良かったなと思います。
きものってもともとは日本人がフツーに着ていた衣服。
それが、戦後「ステイタスアイテム」「フォーマルウエア」みたいな価値観がくっつきながら今に至ります。
「ステイタスアイテム」「フォーマルウエア」といった価値観が付随したからこそ、時代の流れの中で消えることなく2019年の今も、こうして「在る」のです。
けれど、時代とともに世の中の在り方が変わってきて、「ステイタス」も「フォーマル」も必要とされる機会がどんどん減ってきています。
結婚式や披露宴を行うカップルが減ったのは、少子化だけが理由ではないし。
お悔みシーンでも最近は葬儀を行わない「直葬」が増えていると聞きます。
結婚式とお葬式。
人生の二大セレモニーが縮小していく時代の流れの中で。
「フォーマルウエア」としてのきものの出番も減りつつある。
だから、なおさらに「きものをファッションの選択肢のひとつ」として選び、楽しむことがもっともっと流行ったらいいな、って思うのです。
こんな風に堂々と言えるようになったのは、すべての出来事において、善悪、優劣、勝ち負けみたいな思考で物事を判断する「習慣」から抜け出せたから。
そして。
純粋な「好き」という気持ちを大切にすることを思い出したから。
きものを通じて、色々な感情を経験してぐるりと回りまわって、今、そう感じています。
今日も読んでくださってありがとうございました♪
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