結局のところ自分を他人を「この世のしくみ」を信じる力が幸福感をもたらすのよね、というお話。

「自分を愛したい」と思うとき、私たちは「自分に自信がない」という状態である。


そして、頭の中では「こうなったらいいな(こうなりたい)」という思いと「でも、どうせダメに決まってる」という、相反する思考が渦巻いている。


どうしてそんな風になるかというと、「過去に傷ついたことがある」から。


もっとも強烈に影響するのは、「お前はダメだ」というニュアンスの否定的なメッセージを親や祖父母など身近な養育者から、幼少時に浴び続けることだといわれている。精神医学、心理学、脳科学、スピリチュアル、あらゆる領域のプロがそう言っているので、間違いない。


なんらかの形で「お前はダメだ漬け」となって成長した人は、就職や恋愛・結婚・妊娠・出産など「わかりやすいターニングポイント」によって「人生の逆転」を期待する。けれど、「お前はダメだ」の洗脳を受けているため、意識の中で無自覚のうちに「どうせダメなんだ」に得票が集まって、ターニングポイントで期待外れな結果となり「やっぱりどうせダメだった」と落ち込む。


この累積によって「自分に自信がない」という状態が固定化していく。


心身が傷つく経験をすると、私たちは「防御本能」が作動するようにできている。「入れたてのコーヒーが熱い」と知っていてカップに指を突っ込む人はいないけれど、まだ、その事実を知らない小さな子供が触ろうとするのと同じように。


私たちは一つひとつの「経験」を逐一データベース化して「防御システム」を常に強化し続けている。


そして、この防御システムが「こうなりたい」という思いと「でもどうせダメに決まっている」という相反する思いを生み出す源泉となっていく。


「自信を持つ」というのは選挙のようなもの、だと思う。自分の望みに対して「そうなるに違いない」という確信に圧倒的に票を入れることができるようになれば「自分に自信がない」などとクヨクヨすることもなくなる。


自信とはつまり、「自分を信じる」ことだ。それは「あの人に任せておけば大丈夫」と誰かを信じるのと同じでである。


けれど「自信がない」という状態にあるとき人は、信じる対象が他人であっても、神様であっても、宇宙の摂理であっても、なんであれ「信じる力が弱い」という特徴も併せ持つ。


私は先日、右手首が軽い腱鞘炎になった。学生時代に「ワープロ検定」なるものを受けて以来、30年近く高速&大量のタイピングをブラインドタッチをしているので、手首を酷使しまくりなのだろう。


幸いなことにPCでキーボードを打つ動作には支障はなかったけれど、「ドライヤーをかける」「お風呂掃除をする」「炒め物をする」といった日常のなにげない動作が困難だった。ついでに「きものを着る」のも難しかった。


利き手の手首が痛む、という現象によって多岐にわたる弊害がでたわけだが、「自信がない」という症状も、利き手の腱鞘炎と同じである。


自信がないばっかりに、あらゆるシーンで弊害が出る。左手でドライヤーをかけていたとき、距離感がつかめずにドライヤーで頭を殴ってしまったが、それもこれも元をたどれば「右手が痛む」からである。右手首が元気であれば、起こらなかったアクシデントだ。


人生で起こる「自分を痛めつけるできごと」も、もとをたどれば「自信がない」ゆえに起こる。


自信があれば失恋しても「私にふさわしい人じゃなかったのね」と解釈できるし、失業しても「この職場は卒業、ということね」と思える。そして、こういう風に思えれば、恋愛をしていようがいまいが気にならなくなるし、次の仕事をはじめる準備がすぐに整う。


問題は失恋や失業ではなく「どうしてこんな目に遭うんだろう」とクヨクヨしながら自分を痛めつることなのだ。そして、クヨクヨを長引かせることによって「防御本能」を強めまくって、人生を台無しにすることだ。


もっといえば「クヨクヨ」や「不安感」や「不幸せな気分」を「解消したくて」とった行動の結果は、たいていがうまくいかない。これによって「防御本能」がさらに強まり、「なにをやってもうまくいかない」という負の連鎖が始まる。


利き手が腱鞘炎になったことでの「不便」を私がグチグチと語ったら、あなたはきっと「腱鞘炎を治さないとね」と言うだろう。人生の「うまくいかない感じ」も利き手の腱鞘炎によって生じた不便と同じである。


結局のところ「元を経つ」のがイチバンで、それは「この世のしくみ」に全幅の信頼を置けるようになることだ。宇宙の摂理、神様の思し召し、なんでもいいけれど「この世」のしくみは、スピリチュアル、量子力学、脳科学、心理学、精神医学、それぞれの分野の専門用語を用いながら「だいたい同じような方向で解釈、解明されつつある」と言ってもいいのだから。


天気予報とは裏腹に、晴れた日曜日の朝。

唐突に浮かんだことを書き綴りました。

こんな素敵なお天気で1日をスタートできる幸運をかみしめながら。

今日も読んでくださってありがとうございました!

みなさまの毎日にププッと笑顔があふれますように♪

インド・ガンジス川の灯篭流しで用いられる灯篭的なもの。

沙羅双樹の葉、素焼きの陶器とすべて自然に還る素材で作られているのだそうです。

栗原貴子のでこぼこオンナ道

栗原貴子/編集・ライター、コピーライター フリーランス歴23年。広告、宣伝、啓蒙につながるクリエイティブ制作、コピーライティングが得意。2019年より きもの伝道師 貴楽名義で着付けパーソナルレッスンを中心に活動開始。きもの歴は四半世紀越え。