もしも20歳の私にアドバイスを送れるなら「『女である』という理由だけで被る不利益は貴女の想像を超えている」と伝えたい。

7月、誕生日を迎えて48歳になりました!

私の誕生日は学校は夏休み。14歳の誕生日に”郵送”でプレゼントを送ってくれたクラスメイトがいました。お礼の電話をし、夏休み中に遊ぶ約束をしてどんどん仲良くなっていって。あれから34年が経った今年も、彼女に誕生日をお祝いしてもらいました!


このブログ、放置気味なのに。アクセス統計を見ると、熟読くださっている方がいらっしゃるのです。


ありがとうございます!!!

励みになります。


人生48年目。フリーランサーは21年目となりまして。

「よく頑張った、わたし」

と思うと同時に「もうちょっと、なんとかできなかったのか」的な反省点も多々、あります。振り返ると「そんなことで、くよくよしている場合ではなかった」とか「あんなことで、メソメソしている場合ではなかった」という記憶が多々、あるわけです。


そんな「くよくよ」「メソメソ」事案を振り返り、総括すると。

「セクハラ」&「パワハラ」&「モラハラ」

上記のいずれか、または複数にカテゴライズされる事案ばかりなのです。


独身オンナがフリーランスとして活動する。


ということに、各種ハラスメントはつきもの、ということですね。

フリーランス期間中に結婚していた時期があるのですが、結婚していた時期は各種ハラスメントの経験が少ないように思う。ただ、「結婚している状態におけるストレス」が各種ハラスメントにおけるストレスを超えていたため、認識できなかった可能性も否めない。そのあたり、記憶がかなりあいまいです。


もしも、過去の私に「未来の私というパイセンからアドバイスを送れる」としたら。伝えたいことは山ほどあります。でも「ひと言で端的にしか伝えられない」という制限があるとしたら。


「平成という時代に『女である』という理由だけで被る不利益は貴女の想像を超えている」


というアドバイスを送りたい、です。


令和になったからといって、たちまちこうした不利益が改善されたかというと、そうではありません。ただ、時代の流れが「変わりつつある」ということが実感できるようになった、という程度。でも、そんなささやかな変化のうねりを願い、確実な変化へと時代を動かしていくことが求められる、と思います。


私たち女性が勘違いしてはいけないのは。

「各種ハラスメントをする人が撲滅されること」

「女性だから、という理由で賃金等の差別がされない社会になること」


を指をくわえてボーっと待っていては何も始まらない、ということ。


事実、各種ハラスメントに関しては「いけません」という啓蒙はもう20年近く前から行われています。「セクシュアル・ハラスメント」という言葉が日本に紹介された当時、私は女性誌でたくさんの取材をし、記事を書きました。行政の「セクハラ防止ハンドブック」も編集しました。なので、その時期をよく覚えているのだけど。「セクハラ」がなくなることはなかったです。


「これからは、男性も女性も平等です」と高らかに宣言した法律、「男女雇用機会均等法」が施行されたのは1986年。って前世紀じゃないか。当時、私はJKでした。


概念が作られたところで、社会はほとんど変わりませんでした。


「地震をはじめ、災害を『なくそう』とするのはムリだ」ということに、似ているなあと思う。災害が発生したときの対処法を「避難訓練」でシミュレーションするように。そして、「いざ」というときにそのシミュレーションを役立てられるように。私たち女性が「備えておく」ことしか「被害を最小限にとどめる」ことは難しいのだ、というのがアラフィフになった私の結論です。


残念だけど。


なぜなら。

日本はもう「沈没しかけているタイタニック」状態だから。


そんなときに「女子供が先」という救命ボートの乗船ルールを守る男ばかりではないことは、映画『タイタニック』でも描かれていたではないですか。超富裕層の男が「女装をしてまで」優先的に救命ボートに乗ろうとしていたのには、ドン引きだったけれど。大勢の人間がいれば、ああいう人がいるものです。


では、どうしたらいいの?


私たち女性にできるのは。

「女子供が先、というような社会のルールを妄信しない」こと。

「いざというときに、うろたえないよう備えをしておく」こと、だと思います。


かつて、私が「くよくよ」「メソメソ」した事案は明らかに「備えが不足」していました。映画の中だけでなく、実社会にも「さっきまで、男気あふれる発言をしてドヤ顔していたのに、船が沈没すると分かった途端、女装をしてまで救命ボートに乗ろうとするような男が存在する」ということを知らなかったのです。


なんて、ピュアなの!


だから、ショックを受けた。

だから、くよくよ、メソメソしてしまった。


女の人生に「起こる可能性のあること」を私たちの世代は、あまりにも「知らなさ過ぎた」のだと思います。時代背景的に、女性が社会進出をすることの「前例」「ケーススタディ」に乏しかったのもある。長引く不況で、社会全体が不寛容になっていったことも無視できません。


私たちはいま、そんな時代を生きています。


けれど、時代を変えるのも「私たち」です。



私自身、振り返ると「くよくよ」「メソメソ」事案のたびに「被害者ポジション」に自ら、おさまっていました。「弱い立場」になることで「これ以上の攻撃をさせない」という、本能的な作戦だったのかも知れません。この作戦、ある意味、有効ではあるけれど。自分の心身へのダメージの大きさを考えると、これはおススメできません。


だから。

「自らすすんで被害者ポジションにおさまらない」ということだけ、覚えておいて。


事実はれっきとした「被害者」であったとしても。

「わたしが、そんな目に遭うことを、わたしはよしとしない」

ギリギリのところで。

そう思えるかどうかが、私の明暗を分けてきたと思うから。


「働く」ということは、決して「ラク」ではありません。

もっといえば、「生きる」ことそのものも「ラク」ではありません。

でも。

どれだけ「くよくよ」「メソメソ」するのか? 

それは自分で決めることができるのです。


世の中が変わることを期待するよりも。

自分の心の「持ち方」を変えるほうが、確実だし、早いです。

そして。


心の持ち方が変われば変わった分だけ「シアワセ」という実感になっていきます。



読んでくださって、ありがとうございました。


フリーランス21年、御年48歳の「経験」と「知恵」があなたの役に立てることを願ってます!

栗原貴子のでこぼこオンナ道

栗原貴子/編集・ライター、コピーライター フリーランス歴23年。広告、宣伝、啓蒙につながるクリエイティブ制作、コピーライティングが得意。2019年より きもの伝道師 貴楽名義で着付けパーソナルレッスンを中心に活動開始。きもの歴は四半世紀越え。