【3.11に寄せて】この9年間を生きてきたことに感謝しようと思う。

こんにちは。栗原貴子です。

コロナ騒動の中、今年の3月11日を迎えることとなった。9年前とは事情がまったく違うけれど、世間に蔓延しているムードは、どこか似ている。


先日、コロナ騒動でトイレットペーパーが買えずに葛藤したことをブログに書いた。

その記事を読んでくれた友達が「譲ったのに」「送ったのに」とFBにコメントをくれた。友達の優しさにジワっとした。ありがとう!!


2011年3月11日。

思い返せば、東京がグラッと揺れたあの瞬間。私はドラッグストアでトイレットペーパーを手にしていた。ラスト1ロールであることに気づき、外出をする前に買いに行ったタイミングで地震が発生したのだった。未曽有の事態とトイレットペーパーが私の人生では常にセットのようだ。

揺れは激しく、そして長かった。

「きゃっ」「あっ」

お客さん、店員さんたちがその場で固まっている。私はとっさに手に持っていたトイレットペーパーを頭上に掲げた。落下物、どんとこいの姿勢である。

「ママ、ママ」

という声に振り向くと、3歳ぐらいの女の子を連れ、生後数か月の赤ちゃんを抱いたお母さんがいた。赤ちゃんを抱き、幼子を守る体制を必死に取ろうとしてふらついていた。お母さんが転倒したら、あの赤ちゃんはどうなるだろう? 

「お嬢さんをこっちに!」

とっさに声が出た。

お母さんは無言でうなずき娘の背中を押した。

女の子はためらいも迷いもなく、ギュッと私の太ももにしがみついてきた。

「大丈夫、大丈夫だよ」

と言いながら、女の子と抱き合った。

見知らぬ他人に母親が子供を任せるなんて。本能レベルで相当な危機感を覚えていた証だろう。


すると「なんまんだぶ、なんまんだぶ」という声が聞こえた。腰が抜けてしまったのか。床にぺたりと座り込んだおばあさんが、手をすり合わせながら念仏を唱えていた。マンガのようで、思わずニヤついてしまった。


なんまんだぶおばあさんのおかげで、私の心はすっと平常心に戻った。


店員さんが「みなさん、外へ!」と声をあげたが、とっさに「ここにいてください! 看板が落ちてくるかもしれない!」と制した。みんなが私の言葉に従ってくれた。私を見るみんなの眼差しに、偶然、居合わせた頼もし気な職業の人かと期待されているような気がした。『いえね、ただの物書きです。昔、防災館を取材したんですよ』と説明したかったがそれどころではない。


揺れが収まると同時に、近所の小学校の校内放送で震源地が東北地方であることを知った。女の子をママの元に返し「大丈夫ですか?」と声をかけた。半べそのママに「ありがとうございました」と言われた。赤ちゃんがニコニコと笑いかけてくれた。


「すみません、トイレットペーパーをお会計してください!」

茫然としていた店員さんに声をかけ、トイレットペーパーをゲット。家路を急ぐ。なんまんだぶのおばあさんのことを忘れていたことに気づき、少し胸が痛んだ。


とはいえ、あの揺れでは家は大惨事になっていることだろう。


けれど、家の中は何事もなかった。ドラッグストアの棚からは、商品が落下していたのに。食器棚も本棚もいつも通りであった。


ここでテレビをつけるのが一般的な動作だと思う。

しかし、当時の私はテレビを持っていなかった。

「やれやれ、原稿でも書こうか」

信じられないことに、のんきに原稿を書いていたのだ。

地震から2時間ほど経って、携帯電話が通じないことに気づいた。あの地震が大変なことになっているのだと直感したが、いかんせんテレビがない。ネットニュースを見て初めて事態を知った。


あれから9年。

コロナ騒動が起きている今、私はまたしても「トイレットペーパーの入手」、そして「テレビなし」というデジャブのような状態にいる。しかし、今回はいささか事情が異なる。パニックに陥りかけているのは、世界中だということだ。

9年前、私たちは大自然を前にして人間がいかに無力なのか、ということを思い知ったはずだ。

けれど。

この9年間を生きられたことが、どれだけありがたいことなのか、ということを忘れかけていたのではないだろうか?


コロナウィルスは人工ウィルス、というウワサもまことしやかにささやかれている。陰謀論モノの映画も大好きな私であるが、それはエンターテインメントとしての話だ。


人工ウィルスにしても、自然発生したウィルスにしても。

ウィルスが人々を不安にさせるということに。人間の無力さを突き付けられているように感じる。


そして、今、地球上の人口は爆発的な増加傾向にあり、近い未来に食糧難になるという予想もある。実際、昆虫食が研究されているという。食糧自給率がカロリーベースで40%ほどの日本は「イナゴを養殖して佃煮にして、お米を食べるのが日常食」という未来も絵空事ではないのだ。人口が爆発的に増えたら、原産国は自国民のニーズにこたえるので精いっぱいになる。食材を日本に輸出してはくれないだろう。

お馴染みの魚が不漁だというのは、魚が減っているというよりは、他国で食べられ始めているからだ。すでに、食糧の”奪い合い”は始まっている。


そして、私たち人間は魚が生息する海にマイクロプラスティック問題をもたらしている。

中国や韓国では晴天が珍しくなってしまったほどのPM2.5 の大気汚染。

人間はことごとく地球を汚し続けている。


けれど、今回のコロナに対する中国の政策により、中国の大気汚染が緩和されているとも聞く。



なので、私はコロナウィルスは、地球からのお仕置きなのではないか、と思っている。

いわゆる、フツーの日常が脅かされると、人間は不安を抱きストレスを強く感じる。

そのストレスと不安が買い占め行動につながるのだろう。

でも。

「言ってくれたらトイレットペーパー送ったのに」と声をかけてくれる人たちがいる。

そういう、思いやりや優しさに触れると「あと1ロール」とテンパっていた日々を笑い飛ばせるようになる。

大変なのは、みんな同じなのに。

不安やストレスを抱えているのも、みんな同じなのに。

思いやりや優しさを持てること、それは人間ならではなのだと思う。


ⓒ織田桂子 ガンジス河を照らす夕日


地球からのお仕置き。そう、あくまでも「お仕置き」である。

このお仕置きは私には「未来をどう変えていくの?」という問いかけのように、思えてならない。


2020年3月11日。静かに追悼しようと思う。

いろいろと、大変だけれども。

今、この瞬間を生きていることに感謝しようと思う。







 










栗原貴子のでこぼこオンナ道

栗原貴子/編集・ライター、コピーライター フリーランス歴23年。広告、宣伝、啓蒙につながるクリエイティブ制作、コピーライティングが得意。2019年より きもの伝道師 貴楽名義で着付けパーソナルレッスンを中心に活動開始。きもの歴は四半世紀越え。